規制委員会は政府や業界要請にこたえる耳持つべきではない

2014年07月19日 12:24

 「安全性についていうものでない。新基準に適合していると言っている」。「基準の適合性をみたのであって、安全だとは私は申しません」。原子力規制委員会の田中俊一委員長。

 発言は九州電力川内原発1号機と2号機(鹿児島県)の再稼働にむけた安全審査の審査書案を了承した日の田中委員長の記者会見での発言だ。

 国民は安全性についてこそ、客観的な専門家の目で判断を期待している。審査するのは安全性でなければならない。新基準に適合しているかどうかは最低限のもので、その基準をクリアし、かつ避難計画の有無など万一に備えた安全対策上の周辺環境整備の状況まで把握し、言及し、規制委員会としての審査書に盛り込むべきだ。避難計画を規制範囲外にしていること自体、問題で、喫緊に審査対象に入れるべきだろう。

 規制委員会は現在受け付け中のパブリックコメントなどを経て、審査書をまとめることになるが、田中委員長は原発の安全性を保障し、担保するものではない旨を表明した。新基準に照らし適合しているかどうかをチェックするだけなら、基準そのものが原発の安全性を本当に担保できるレベルなのか、再検証が必要だ。

 政府が「世界で最も厳しい安全基準」と言っても、既存の基準に照らし厳しい基準ということであって、いかなる震災、津波などの事態にも耐えうる安全性が確保される基準をいうものではない。

 日本共産党の志位和夫委員長は「新規制基準には核燃料溶融時の対応等でEU基準すら盛り込まれていない」と問題点を指摘したうえで「世界最高水準はウソ」と批判する。

 また審査対象に避難計画が入っていないことや巨大噴火の予知はできないなどの問題もあげ「 新たな安全神話に基づく再稼働は許せない」と問題点の多さを示す。

 世界で最も厳しい基準かどうかは国民にとって重要ではなく、いかなる震災、津波などの災害や事態にも耐えうる安全性が確保されることこそが重要なので、この点について国会で改めて、原子力規制委員会の役割と責任、権限、新基準について議論すべきだ。

 川内原発では火砕流の問題に対する認識が火山専門家と電力業界の判断に違いがある。規制委員会と九州電力はGPSなどによる監視機能の強化で噴火などの前兆を予知できるという判断だが、火山の専門家はカルデラ噴火の前兆は確実に捉えることができるとする見方を否定している。

 こうした意見が存在する場合、安全性を何より優先するとしている政府の方針に則して、より厳しい判断の方を基準(判断材料)にすべきで、こうした取り組みこそ安全性を高めることにつながる。

 また避難計画は地元自治体が作成することになっているが、現場の状況に詳しい地元自治体がプランを立てることには合理性があるものの、国が避難計画に全責任を持ち、国、自治体、防災専門家、原発に詳しい専門家らが一体となってプランを作成し、政府が責任を持つことが必要だ。

 田中委員長が「基準に照らし、適合した」と発言する域に留めているのは、安全性は原子力規制委員会で担保できるものではないということを間接的に主張するものともとれる。

 安全性は誰が保障し、担保することになるのか。安倍総理は「世界で最も厳しい安全基準に適合し、安全とされたものは、立地自治体の理解を得ながら再稼働を進めたい」とこれまで通りの方針を示した。

 しかし安全基準に適合イコール安全な原発を指すものではないと田中委員長が間接に言っているので、政府が「安全とされた」と、その根拠とするところを原子力規制委員会の審査に置いているのとは、明らかに、原子力規制委員会の置かれている立場の認識に違いがある。

 安全性について、だれが責任を負えるのか。政府と原子力規制委員会がそれぞれに安全性の責任は自らにはないとするのは明らかに問題だ。

 原子力規制委員会はありとあらゆるケースを想定し、安全性基準そのものの考察を常に行い、より安全度の高いレベルに基準の見直しをしていくべきだろう。基準に適合しているかどうかだけでなく、安全性について責任が持てる委員会にならなければ規制委員会の判断に対する国民の信頼は揺らぐことになる。それだけの責任を負う覚悟が必要だ。

 原子力規制委員会が政府、政治、電力業界、経済団体からの圧力に影響されず、中立公正な科学的見地から再稼働などの基準を作り、適合性を判断し、経済効率や経済政策に左右されることもなく、純粋に独立機関として発言し、役割を果たして行くことが国民から最も期待されている。そのことを田中委員長に自覚頂きたい。その姿勢を貫く限り規制委員会は国民から支持される存在であり続ける。規制委員会は政府の政策や電力業界から必要な情報を聴取すること、情報を収集することは大いに結構だが、要請にこたえる耳は持つべきでない。安全性にのみ縛られる存在であれ。(編集担当:森高龍二)