大阪ミナミの道頓堀で夜空に輝くグリコネオンは大阪を代表する風景のひとつだ。しかし、老朽化を理由に新たな看板への変更が発表された。さらに、江崎グリコ<2206>は新たなランナーが登場するまでの間、女優の「綾瀬はるか」を代走に起用したのだ。これが話題を集め、これまでに増して道頓堀を訪れる人が増えている。
このネオンに描かれるゴールインマークは、江崎グリコのトレードマークだ。同社が道頓堀に大型看板を建造したのは 1935年。以降、道頓堀のシンボルとして親しまれており、2003年には「大阪市指定景観形成物」として認定を受けている。現在の看板は 5代目で、1998年7月から設置されているが、16年が経過し老朽化が進んだため、6代目への交替が決まった。
両手を挙げて走るランナーの姿は大正時代の初代から5代目までほぼ一貫していたが、看板全体のデザインは変化し続けてきた。初代は文字やランナーが6色に変化し、毎分19回点滅する花模様で飾られていたという。当時の道頓堀は全国有数の賑わいを見せ、ラジオも普及していなかった頃なので最高の広告効果があったそうだ。しかし、戦時中には鉄材供出のため撤去されることとなった。
2代目の登場は55年。焼け野原からの復興が一段落した時期だ。人々は気持ちに明るさを取り戻し始め、看板は戦後の復興の象徴だった。3代目は63年に登場し、その派手さが話題となった。高度成長の勢いと自信を感じさせるものだった。4代目の登場は田中角栄の日本列島改造論の時期で、バブル経済も経験することとなった。5代目は98年の登場だが、先代までとは違い経済は必ずしも順調では無かった。
今秋には6代目への交替が予定されているが、そのデザインについて江崎グリコの口は堅く、「見てのおたのしみ」としか発表されていない。従来のネオン管では無く、時代を反映し発光ダイオード(LED)主体となることだけは分かっている。
筆者がこの場所を撮影している間にも多くの人々が、看板を背景に写真を撮っていた。浪速っ子にとっても、観光客にとっても、この場所は大阪のシンボルなのだ。グリコの看板は大阪、ひいては日本の経済と時代の空気を反映してきた。6代目の看板はどんな日本を象徴することになるのだろう。(編集担当:久保田雄城)