教員免許「国家資格」は国民的議論必要

2015年05月02日 18:06

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自民党の教育再生実行本部は大学で教員養成課程を履修した後に国家試験を行い、学校で一定の研修期間(1年から2年)を経て教員免許を取得する方向で提案のようだが、研修期間を管理する教頭や校長に研修生の教員としての資質判定に思想的な介入が入らないか

 安倍晋三総理の根底に流れる「美しい日本」とそのために育まれなければならない「愛国心」。象徴天皇の明確な「元首」化の法定と天皇を「日本国民の象徴」として「敬う心の醸成」。そして、「時代に合わなくなった条文もある」と憲法改正で、過去に、その最たる条文が9条とした安倍総理が指摘する憲法9条(戦争の放棄)の改正、安倍総理の視点からみた「時代にあった国防軍」と日米同盟の更なる深化による米国・米軍と一体化したような取り組みによる安全保障への道。

 これらを総合してみると、学校教育における「道徳」教育の特別教科化や国立大学に対する「国旗・国歌」の要請、集団的自衛権行使を認める憲法解釈の変更の閣議決定、これにもとづく安保法制の大幅な見直し、並行して加速する憲法改正への環境づくり促進など、大きな議席を有する自民党の後押しを背景に、安倍総理の目指す先が浮き彫りになりつつある。

 このうち、安保法制については国会で今月から本格化することになるが、日米の外務・防衛閣僚による「2+2」会合、新ガイドライン、日米首脳会談、米国議会上下両院合同会議での総理演説など、安倍総理が米国で発言した内容は、これから国会に法案が提出され、国会で審議し、法案成立をみて初めて可能になる事項まで、オバマ大統領や米国議会に約束したことになる。

 安倍総理は安保法制について「戦後初めての大改革」を「この夏までに成就させる」と明言し、国際平和支援法という響きよい名称ながら、自衛隊の海外派遣をいつでも可能にする法案を「この夏までに、必ず実現する」と演説した。

 野党がこぞって「国会軽視、国民無視」と批判するのは当然。安倍総理は安保法制について演説の中で「日本は今、安保法制の充実に取り組んでいる。実現のあかつきには、日本は危機の程度に応じ、切れ目のない対応が、はるかによくできるようになる」と語り、『実現のあかつきには』と前置きして演説しているが、後半では「この夏までに成就させる」と強調した。

 菅義偉官房長長官は「総理としての決意を示したもので、国会軽視との批判はあたらない」と総理をかばった。ともあれ、安保法制の議論は今後、法案が国会に提出される。そこで、国民にも分かり易い説明を政府には求めたい。野党には、突っ込んだ議論で問題点を浮き彫りにし、修正させるべきところは修正させて頂きたい。

 安保法制に加えて、最近、気になるのが、教育への取り組みだ。「道徳を特別な教科にする」ことは周知のとおりだが、自民党は教諭の質の向上をめざすとして、医師や薬剤師のように「教員免許」を国家資格にしようと政府に提案するようだ。

 自民党の教育再生実行本部は大学で教員養成課程を履修した後に国家試験を行い、学校で一定の研修期間(1年から2年)を経て教員免許を取得する方向で提案のようだが、研修期間を管理する教頭や校長に研修生の教員としての資質判定に思想的な介入が入らないか。

 極端な話、入学式や卒業式の国旗掲揚、国歌斉唱は義務にされているが、思想信条から起立しない、歌わないとした場合、こうした不作為のみで、研修生の教育界への道が閉ざされるようなことが生まれてくることはあってはならない。思想信条へ国家や政治介入の余地を残してはならない。

 歌わないなど不作為においては、その理由を聞き、そこに合理的理由があれば、これを尊重すべきだろう。また、これは義務であって、不作為に対する罰則規定などない。これによる不利益があってはならないと考える。

 また、国歌斉唱について、天皇陛下は「強制になるということでないことが望ましいですね」と2004年の園遊会で招待者との会話で発言され、国民の自発性に任せ、歌うことを強制する姿勢は控えるよう表現された。もちろん政治的発言ではない。君が代を国歌と法定した際に当時の首相が「強制しようとするものではない」と国会答弁しており、これに沿ったものと考えられる。天皇陛下は「国旗、国歌については国民1人1人の中で考えられていくことが望ましい」(平成17年)と語られている。君が代の「君」に対する議論も十分ではない。

 いずれにしろ、思想信条の自由が保障されたうえで、「公平中立・不偏不党の立ち位置で常に教壇に立ち続けることのできる教師であること」が、教える技術、育てる技術、複眼的に物事をとらえる能力とともに大変重要なことだ。こうした点からみても、国家資格の在り方については、医師や薬剤師の国家資格と横並びに論じられない難しさがある。国民的議論が必要だろう。(編集担当:森高龍二)