「早寝早起き朝ごはん」運動が見えなくするもの

2013年02月14日 08:24

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食育と教育の問題は、家庭の努力で解決できる範囲を超え始めている

 ここ数年、子育て世帯における「食」の重要性がますます強調されるようになっている。2005年に「食育基本法」が成立して以来、「知育・徳育・体育」に加えて「食育」が新たなテーマとして掲げられるようになったことがその一因だ。2006年には文部科学省が「早寝早起き朝ごはん」キャンペーンを開始するなど、「家庭における食事の大切さ」を説く主張はどんどん勢いを増している。

 たとえば朝食を家族そろって食べる小中学生と比べて、一人で食べる小中学生は「身体のだるさや疲れやすさを感じることがある」「何もやる気がおこらない」の割合が2倍以上にもなり、家族と一緒に食事をとる子どもとそうでない子どもには明確な健康格差があることが分かる(「平成22年度 小中学生の食事状況等調査((財)日本スポーツ振興センター) 」)。「毎日朝食をとる小中学生ほど学力調査の得点が高い」というデータは、食育や「早寝早起き朝ごはん」キャンペーンとたびたびセットで登場する(文部科学省「平成22年度 全国学力・学習状況調査」による) 。

 こうしたデータには納得する部分も多いが、そもそも毎日家族そろって食事が摂れるような恵まれた環境にある子どもたちは、食事以外の部分でも親から多くのケアを受けることができ、教育パフォーマンスも高くなるだけという冷めた見方もできる。親が深夜に労働している、帰宅が遅いなどの家庭は、そうでない家庭と比べて子どもへのケアがおろそかになり、結果として学力が低くなってしまう可能性もあるのではないだろうか。
 
 「早寝早起き朝ごはん」といった標語はこのような格差を「家庭の努力の問題」で片付けてしまう。いくら「食育の問題は社会全体で考えることが大切だ」といっても、地域社会が衰退していれば、「食事と教育効果」を結びつける議論は必ず家庭教育を強化し、理想的な家庭像を押し付ける方へ向かう。

 食育の問題は、貧困率との相関や企業のワーク・ライフ・バランスの問題とあわせて語られるべきではないか。少なくとも食育と教育の問題は、家庭の努力で解決できる範囲を超え始めている。