この国は存在する文書も「存在しない」、決裁文書の改ざんも嫌疑不十分で不起訴になる、ということであれば、『正義』とは何なのか。法に抵触しなければ「良」なら、学校現場で「道徳」を教科にしてまで、何を教えるのか。
最も信頼されるべき中央省庁官僚や閣僚にモラルが問われる事案が頻発する現況こそ、由々しき事態で、再発防止策を徹底したものにすべき。
野党の一連の追及で加計学園疑惑が深まっているが、森友学園問題でも国有地売却でいくつもの特例に加え、8億円の大幅値引きに絡む優遇対応が明らかになりつつある。なぜ、森友学園に異例の優遇策がとられたのか。背景に安倍晋三総理の思想と右派系改憲推進団体の目指すものの類似があると筆者は思っている。
共通項は自主憲法制定であり、天皇は元首と規定する、国歌「君が代」を憲法で規定する、安全保障では集団的自衛権の行使をフルスペックで可能にする。安倍総理は集団的自衛権行使については「一部に限られる」と総理としては国会答弁しているが、個人としては日米安全保障条約を血の軍事同盟と理解し、片務性解消を目指していると察する。
天皇に関して「元首」に規定する世論醸成には、教育現場での「君が代」浸透に加え、教育勅語の扱いにも寛容になる。森友学園が運営する幼稚園では、籠池泰典氏が理事長就任中、教育勅語を園児に暗唱させていたほか、「御稜威(みいつ)に副わん」(天皇や神の意向に沿う)「皇国つねに栄えあれ」と歌った愛国行進曲まで聞かせていた。安倍昭恵総理夫人は学園教育を評価し、一時、名誉校長に就任している。そして、森友事件で理事長交代以来、こうしたことは廃止と園はHPで明確にした。
新理事長は幼稚園での教育において「教育勅語の奉唱」「軍歌・戦時歌謡の類の斉唱」「伊勢神宮参拝旅行」「自衛隊行事への参加」などは学校法人として改めるべき内容との結論に再度至った、と昨年6月発表。
籠池泰典理事長(当時)の下で進められた大阪府教育庁への小学校設置認可申請では、教育内容に「皇室・神ながらの道に沿った教育勅語」を尊重するとし、総合学習では「修身」「国史」などをあげていた。この学校が開校し、自ら判断できない児童が、こうした教育を刷り込まれ育ったとすれば、象徴天皇の位置づけ、基本的人権の尊重、平和主義、国家観に対し、自らの視点を持ち得るよう育って行けただろうか。
大阪府教育庁は学習指導要領に沿って指導するという申請だったため、その範囲内であれば問題ないので受理したとマスコミに答えている。
しかし、教育勅語や修身は日本の歴史の中で一時期、国策として取り組まれた史実としてどのような目的で、どのような結果になったか、中学や高校での歴史認識の教育には有用だが、判断能力のない幼児・児童に対して扱う材料ではない。
また安倍総理は「愛国心」を育む教育を重視するが、愛国心は国際化を進めることで、それぞれの中に自然に育まれていくもの。地方の学生が都内の大学に進学し、自身のふるさとを意識し、再認識するのに似ている。愛国心を持つよう強制をしたり、ましてや強制されるものではない。国家観や世界観は愛国心も含め、自らの成長の中で様々な情報・知識・体験を通して各々が築いていくものだろう。
森友学園特別扱いの背景に、過去の学園のこうした教育を後押しするような思惑があったとすれば、安倍内閣で導入された義務教育課程の「道徳」教科の授業の中身を見守っていくことが必要だろう。保護者は自身の子どもが学ぶ道徳に、子どものために自身の問題として常に目を向けておくべきだ。(編集担当:森高龍二)