代替わりの進め方、儀式、再考の場を

2018年12月02日 10:08

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安倍政権は今回の閣議決定までに国民的議論を行っただろうか、皇室の権威や威厳をひたすら高めるために早々に閣議決定したのではなかったか

 秋篠宮さまは53歳の誕生日に先立つ記者会見で、新天皇が即位した年に採れた新穀を神々に供え、自らも食し、五穀豊穣と国家国民の安寧を祈る『大嘗祭』について「皇室の行事として行われる宗教色の強いものなので、内廷会計で、身の丈にあったもので行うべきと思っている」との思いを明確に示された。

 こうした思いを平成のときの『大嘗祭』でも抱いておられたことも公にされた。そこに提起されたことは、個人的な思いであったとしても、やはり大きい。

 秋篠宮さまは「即位の礼は国事行為で行われるものだが、『大嘗祭』は皇室の行事として行われるもの」と峻別され、「大嘗祭は、ある意味、宗教色が強いものになる」との認識を示された。

 そして「宗教色が強いものについて、国費で賄うことが適当かどうか」「宗教行事と憲法との関係はどうなのかというときに、私はやはり、内廷会計で行うべきだと思っています」と明確に語られた。

 憲法との関係性や国民感情の視点に配慮されたご発言に、多くの国民は共感するところが大きかっただろう。

 少なくとも筆者は(1)「大嘗祭が皇室行事であること」(2)皇室としては「大嘗祭自体は絶対にすべきもの」であること(3)「できる範囲で、身の丈にあった儀式にすれば。そういう形で行うのが本来の姿ではないかなと思います」との認識を持たれる秋篠宮さまは国民感情に最も沿っているのではないかと感じる。

 秋篠宮さまは「宮内庁長官などにはかなり私も言っているんです。言ってみれば、話を聞く耳を持たなかった。そのことは、私は非常に残念なことだった」と語られている。

 天皇を「国民統合の象徴」として位置付ける現行憲法に対し、自民党は「天皇を国家元首」に規定し、権威付けたい狙いがある。天皇は国民の象徴であってそれ以上でもそれ以下でもない、まさに「象徴」としての存在だ。

 現行憲法において20億円を超える公費を投じて大嘗祭が行われることに問題がないのか。

 1995年、大阪高裁は「違憲の疑いは一概に否定できない」とした。日本共産党の志位和夫委員長は「大嘗祭」は天皇が神と一体になり民を支配していく権威を身につける儀式として、古来から位置づけられてきた。事実上の国家的行事として多額の公費をつぎ込むやり方は憲法に明らかに反している」と指摘する。

 今年3月、党として天皇制反対の立場ではなく、憲法の原則にふさわしい行事にすべきという立場から、国民主権と政教分離の原則を厳格にまもるために、国民的な議論をするよう衆参両院議長に要請した経緯がある。

 秋篠宮さまは「今回も結局、そのとき(平成のとき)を踏襲することになったわけですね。もうそれは決まっているわけです。ただ、私として、やはりこのすっきりしない感じというのは、今でも持っています」。すっきりしない感情をもっている国民も少なくないだろう。

 安倍政権は今回の閣議決定までに国民的議論を行っただろうか、皇室の権威や威厳をひたすら高めるために早々に閣議決定したのではなかったか。

 今回の件を機会に「代替わりの進め方、儀式について、全党会派で憲法に即した在り方を議論する場を設置することを求めたい。また議論は公開されることが望ましい。国民に理解されやすいからだ。是非、再考の場を設けよ。(編集担当:森高龍二)