教育が危ない。憲法改正への動きもさることながら、安倍晋三総理が今回入閣させた全閣僚が憲法改正、靖国神社での国家儀礼の確立、道徳宗教教育の推進、皇室の尊厳護持などに取り組む「神道政治連盟」の理念を支持し「国会議員懇談会」に加盟、あるいは加盟していたメンバーで、皇室尊崇、愛国教育を目指す右派系改憲推進団体国会議員懇談会にも19人の閣僚中15人が所属している。教育の政治的中立・公正が確保できるのか危惧される。
教育行政トップに就任した柴山昌彦文部科学大臣は大臣就任会見で教育勅語を「現在的にアレンジして教えていこうと検討する動きがあると聞いている。検討に値する」と歴史認識を疑わざるを得ない認識を示した。
「過去、現在、未来にわたる天皇と国民の道徳的な一体性という仮想を『国体』という言葉で表現し、そこに教育の淵源を求めているのが教育勅語」(教育史学会)。
教育勅語を現代的にアレンジできるとすること自体、歴史認識が問われる問題で、「憲法尊重擁護義務がある」と自ら語るものの、教育勅語に対しこうした認識の人物なら、文科大臣の資質が問われなければならない。
教育勅語の本質は「一旦緩急あれば義勇公に奉じ、以て天壌無窮の皇運を扶翼すべし」というもの。「重大事態があれば天皇のために命を投げ出せ」と滅私奉公(この公は天皇を指す)を全国民に浸透させるために使われた。
そのため憲法の理念に反することから1948年に衆議院で『教育勅語の排除決議』、参議院でも『教育勅語の失効決議』が採択され、公式廃止となった。
柴山氏はそうした歴史的事実を踏まえ大臣就任会見に臨んだのか。甚だ文科大臣の資質に疑問を持つ。教育における安倍総理の適材適所と一般国民の適材適所は目指す方向がどうも違うようだが、国会での徹底議論を求めたい。
加えて、文科大臣に下村博文氏が就任した時、下村氏は教育での道徳教育の必要性とともに、国立大学に君が代斉唱を要請し、反発を買い「強制するものではない、任意の要請だ」と弁明した。
柴山大臣の誕生で、君が代斉唱をより教育現場に実践するよう求めることが懸念される。君が代審議の際、国旗国歌を切り離し議論すべきとの野党や世論の意見を無視し、自民党が強行で国旗国歌を一括にした法案で国歌を法定したとき、天皇は決して強要するようなことがないようにと懸念を示されたことは周知の事実だ。決して強制すべきものではない。
君が代が天皇制と強いかかわりを持つものであることは自民党が最も理解している。2012年に自民党が示した憲法改正案では君が代を「天皇の章」に規定したことでも明確だ。加えて、「君が代を尊重しなければならない」とまで規定している。
自民党は天皇を国家元首として憲法に規定したい考えだが、天皇は「主権を有する国民の総意」によりその地位を規定した「国民統合の象徴」であり、それ以下でもそれ以上でもないことをこそ周知する事の方がより大切だ。
君が代を、天皇を象徴以上にする思想形成や皇室の尊厳思想の植え付けに利用するようなことはあってはならない。
しかし君が代斉唱を教育現場に浸透させる動きが強くなることが懸念される。今回、保守系の学生運動に身を投じた経歴を持ち、愛国教育を目指す右派系改憲推進団体から支援を受け国会議席を得ている総理盟友の衛藤晟一氏が「教育再生・国政の重要課題を担当する」総理補佐官に就任していることからも容易に推察される。
柴山氏も衛藤氏も、思想の根本は安倍総理に酷似。酷似しているから憲法改正に本腰を入れる総理に、教育の場においても神道や愛国心教育を浸透させる右傾化への可能性が高い。
柴山文科大臣は3日の自身のブログで「子供たちの個性を伸ばすとともに道徳教育にも力を入れる」と宣言している。柴山氏の下で文科行政をサポートする文科副大臣の永岡桂子、大臣政務官の中村裕之、白須賀貴樹両氏も神道政治連盟の理念に賛同している国会議員懇談会メンバーだった。
こうした中で「教育の政治的中立性」が保たれるのかどうか。国民一人一人が教育、子どもたちの学びに常に目を向け続けるほかない。でなければ、いつの間にか右傾化に拍車がかかり教育の中立性が危うくなるだろう。愛国心教育という名の下に、時の政権が求める思想形成という政治介入は許されてはならない。
柴山文科大臣は5日の記者会見で「わたしは教育勅語を復活させようとか言っているわけではない。教育勅語は滅私奉公(公は天皇を指す)など精神的支柱となり、戦後、憲法および教育基本法の制定をもって、法制上の効力を失効させている。過去の日本人を戦争に駆り立てた部分もあるかもしれないが、規律正しさや互いを尊重する気持ちなど国際的な社会の分断が色々問題になる中で尊敬を集めている部分も見て取れる。教育勅語から離れて、そういったことでは普遍性をもっているのではないかと申し上げた」と弁明した。
柴山文科大臣は「当然ながら、日本国憲法、教育基本法の趣旨を踏まえ、学習指導要領に則して教育する、特に道徳教育は(日本国憲法、教育基本法の趣旨を踏まえ、学習指導要領に則して)行われなければならない」と発言し強調した。発言通りかどうか、教育現場を注視していくべきだろう。
日本共産党の志位和夫委員長は「1936年文部省発行『国体の本義』には、教育勅語の12の『徳目』のすべてが『忠の道』=『天皇に絶対随順する道』と明記されている」と指摘し「いざという時には天皇のために命を投げ出せ、に繋がることを公式に解説していた。『教育勅語にはいい部分もある』という議論は通用しない」と反論した。
社会民主党の吉川はじめ幹事長は「教育勅語は、臣下たる国民に、個人の命や権利を捨てて天皇や国家への滅私奉公を奨励するもの。現憲法下の教育に通じる普遍性は全く無く、アレンジして使う余地もありません。教育に携わる文科相が国権の最高機関で憲法違反として排斥されたものを検討に値するという認識は話にもならない。憲法違反を自らやるというのに等しいといわざるを得ない。憲法違反であり、国会軽視であり、直ちに罷免するよう求める」との談話を発表。
そのうえで、今回の人事について「安倍首相の認識が反映しているかもしれません」と指摘した。
吉川幹事長は「学校法人森友学園の幼稚園が園児に教育勅語を暗誦させる教育を行っていたことに対し、安倍首相夫人である昭恵氏が『すばらしい』と一定評価し、首相も当初は国会でそれを認めていた。また、稲田防衛相(当時)も『勅語の精神は親孝行、友達を大切にする、夫婦仲良くする、高い倫理観で世界中から尊敬される道義国家を目指すことだ』、『全く誤っているというのは違う』などと発言し大変な批判を受けた」と述べている。
吉川幹事長は「臨時国会では、安倍首相の教育勅語に対する認識をただすとともに、このような人物を文科相とした安倍首相の任命責任を厳しく追及していく」としている。国会論戦で柴山文科大臣の考え、安倍総理の考えを国会議事録に残る公の場で質すべきだ。(編集担当:森高龍二)