昭和天皇は南京事件について1952年2月20日「市ケ谷裁判(東京裁判)で公ニなつた事を見れば実ニひどい」「繰り返したくないものだ」と語っていたことが、NHKが公開した拝謁記で分かった。
拝謁記は初代宮内庁長官の故田島道治氏が昭和天皇とのやり取りを詳細に記録したもの。拝謁記では「支那事変で南京でひどい事が行ハれてるといふ事をひくい其筋でないものからウス/\(うすうす)聞いてはゐた」としている。
昭和天皇はうすうす聞いてはいたが「別ニ表だつて誰もいはず」そのため「私は此事(このこと)を注意もしなかつた」と振り返って語った様子が示されている。そして、南京事件の内容を「市ケ谷裁判で公ニなつた事を見れば実ニひどい」と東京裁判で公になった事件の内容から「実ニひどい」と受け止めを示した。
昭和天皇は「私の届かぬ事であるが軍も政府も国民も、すべて下剋上とか軍部の専横を見逃すとか、皆反省すればわるい事があるからそれらを皆反省して繰返したくないものだ」と記録されていた。
南京事件は1937年12月、日本軍が南京を占領した際、「国際法に反し大量の捕虜を殺害し、老人・女性・子供を含む多数の市民を暴行・殺害した事件」(中学歴史教科書から)。東京裁判では「12月13日、中華門外土城頭で3人の少女が日本軍に強姦され、自殺」「14日、市民の妻が中華門斬龍橋で強姦後殺され、泣いている8歳と3歳の子どもを銃剣で突き刺し、生きたまま焼き殺した」など多数の残虐行為が示されていた。(編集担当:森高龍二)