無宗教の追悼・平和祈念国立施設の設置議論を

2021年08月15日 10:14

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政府主催の全国戦没者追悼式も「不戦の誓い」「恒久平和への願い」を世界に発信する場として、この施設で行うことが望ましいだろう

 「8月15日」終戦記念日を迎える。日本は侵略戦争と植民地支配への深い反省の下、現行憲法に基づき、平和外交の努力によって「二度とあのような戦争の惨禍は招かない」との誓いの下、自衛のための防衛体制をとりながら、平和を維持し続けている。筆者も戦後世代で戦争を知らないが、全国民が戦争による犠牲者への追悼とともに、「憲法前文と憲法9条」に込められた意味を読み解く日であってほしいと感じている。

 一方、毎年のように繰り返される「閣僚による靖国神社への参拝や玉串料奉納」に対する周辺諸国からの非難のコメント。最大の理由は「A級戦犯」の合祀問題だ。分祀すればよいではないか、との意見は相当昔からあるが、靖国神社は「仮にすべてのご遺族が分祀に賛成されるようなことがあるにしても、それによって靖国神社が分祀することはありえません」と2004年3月3日に神社としての正式見解を示している。A級戦犯を追悼することに問題ないだろうが、顕彰する靖国神社への参拝には疑問符が付くだろう。

 靖国神社は「神道では信仰上の神霊観念として諸説ありますが、昔より、御分霊をいただいて別の神社にお祀りすることはあります。しかし、たとえ分霊されても、元の神霊も分霊した神霊も夫々全神格を有しています」「二百四十六万六千余柱の神霊をお祀り申し上げておりますが、その中から一つの神霊を分霊したとしても元の神霊は存在しています」「神道における合祀祭はもっとも重儀な神事であり、一旦お祀り申し上げた個々の神霊の全神格をお遷しすることはありえません」というのだ。

 だとすれば、靖国神社は靖国神社として存在し続ける限り、A級戦犯合祀問題が解決することはない。A級戦犯合祀に不快感を示されていた昭和天皇は合祀以来、靖国神社に足を運ばれることはなかった。この姿勢は上皇陛下、今生天皇も受け継がれている。今後も参拝されることはないのだろう。

 総理はじめ閣僚は、少なくとも閣僚の間は靖国神社への参拝はすべきでない。政教分離の視点でもそうあるべきだ。閣僚の靖国参拝をめぐる裁判では当時の小泉純一郎総理が参拝したことを巡る裁判で、2005年9月30日に大阪高裁が「総理の職務としてなされたものと認めるのが相当。極めて宗教的意義が深い行為だ」として違憲とした。判決は確定している。

 侵略戦争と植民地支配への深い反省と周辺諸国への配慮を踏まえれば、戦後80周年までに、戦争により亡くなられたすべての方々を追悼し、国際平和を祈念するための「無宗教の国家施設」を設けて、全国戦没者追悼式・平和祈念式典を、この施設で行うことが望ましい。

 無宗教のこうした国立施設設置への検討はすでに2002年12月24日に当時・経済団体連合会会長だった今井敬氏を座長とした「追悼・平和祈念のための記念碑等、施設の在り方を考える懇談会」が報告書に取りまとめている。具体化に向けた検討をするたたき台はあるのであり、政府・国会で議論することを期待したい。

 報告書によると「2001年12月14日に当時の官房長官から、何人もわだかまりなく戦没者等に追悼の誠を捧げ、平和を祈念することのできる記念碑等、国の施設の在り方について、国の施設の必要性、種類、名称、設置場所等につき幅広く議論するよう要請を受け、およそ1年をかけ検討を重ねてきた」とある。

 そして「国際社会の中で自ら一人のみで生きる国家という在り方がもはや困難になっている今日、日本は他国との共生を当然の前提としつつ、追憶と希望のメッセージを国家として内外に示す必要がある」としている。

 国立施設設置について「過去の歴史から学んだ教訓を礎として、これらすべての死没者を追悼し、戦争の惨禍に深く思いを致し、不戦の誓いを新たにした上で平和を祈念することから、追悼と平和祈念を両者不可分一体のものと考え、象徴的施設を国家として正式につくる意味がある」と設置意義を説明。

 施設の性格については「日本に近代国家が成立した明治維新以降に日本の係わった戦争における死没者及び戦後は日本の平和と独立を守り国の安全を保つための活動や日本の係わる国際平和のための活動における死没者を追悼し、戦争の惨禍に思いを致して不戦の誓いを新たにし、日本及び世界の平和を祈念するための無宗教の国立施設」を提案。

 無宗教の施設であることから「各自がこの施設で自由な立場から、それぞれ望む形式で追悼・平和祈念を行うことが保障されていなければならない」とした。

 靖国神社との関係では「靖国神社は國事に殉ぜられたる人人を奉斎し、永くその祭祀を斎行して、その『みたま』を奉慰し、その御名を万代に『顕彰するための神社』としており、国立の施設は戦争による死没者の追悼と戦争の惨禍への思いを基礎として、日本や世界の平和を祈るものであり、個々の死没者を顕彰するためではなく、両者の目的は全く異なる」としている。

 そのうえで、追悼・平和祈念施設は「住民が気楽に散策できるような明るい公園風のスペースで、かなり大規模な集会ないし式典ができるような広場が在り、その一角に追悼・平和祈念にふさわしい何らかの施設が在ること。都心あるいはその近くに在ること。戦争や宗教に係わりのあった場所でないことが望ましい」とした。

 政府主催の全国戦没者追悼式も「不戦の誓い」「恒久平和への願い」を世界に発信する場として、この施設で行うことが望ましいだろう。是非、宗教に関わりなく、誰もが足を運べる国立施設を検討する議論を政府と国会は進めてほしい。(編集担当:森高龍二)