「台湾有事は日本の有事、日米有事」との発言をはじめ「敵基地攻撃能力というのは、あまり適切ではないのではないか。敵基地だけに限定せず、抑止力として『打撃力』を持つこと。米国の場合はミサイル防衛によって米国全土を守るけれども、一方で、反撃能力によって相手を殲滅(せんめつ=残りなく滅ぼす)する。後者こそが抑止力」「打撃力を持たないという選択肢は現実問題として、私はない」など、安倍晋三元総理の発言が波紋を広げている。
「現実問題」という心象に訴える表現や「抑止力」という名の「打撃力」保有の正当化論法は、憲法9条の解釈改憲を行い、集団的自衛権行使を条件付きとはいえ、できるようにした安倍氏特有の目的達成手法の上手さなのだろう。
しかし、そもそも「台湾有事は日本の有事、日米の有事」などとすることは、いかがなものか。台湾が自由や民主主義、基本的人権の尊重、法の支配といった価値観において、日本にとって重要な国であることは間違いないが「日本の有事、日米の有事」との前提がついたうえで、南西諸島の島々に日米共同基地を置き、台湾有事に備えるようなことになれば、日本は間違いなく「台湾と一体」とみなされることになる。
その結果、台湾有事の際に沖縄・南西諸島がミサイル攻撃の対象にされるのは明らかだ。島民が戦闘に巻き込まれることになる。島民の島外退避や救出をどうするのか、手段は明らかでない。
沖縄県与那国島から台湾まで100キロ余り。距離が近いからこそ、台湾有事で一体化される状況をつくってはならない。それは「台中」「台米中」のものであっても。
台湾有事は日本の有事、日米の有事は中国を強くけん制するための発言とも受け取れなくもないが、抑止力どころか、日本が他国の戦争に巻き込まれるリスクを高めることになりかねない。台湾問題に対し、米国や欧州とは地勢的状況が全く違うことを踏まえた日本独自の視点で外交努力にこそ傾注すべきだろう。
安倍元総理の発言の影響力は一議員のそれではない。安倍氏の発言からは、日米同盟=軍事強化と日米間において、日本の役割に「盾」(防衛機能)以外に、「矛」(攻撃力、打撃力)の役割までを新たに担う共同戦闘をイメージさせるものがある。
今、日本に必要なのは、打撃力での抑止力や打撃力を背景とした交渉ではなく、中国との相互理解、相互信頼を醸成するための相互交流をこれまで以上に進める外交努力ではないのか。
中国には残念ながら、新疆ウイグル自治区での人権問題がある。「言うべきことを言う」ことは必要だろう。人権侵害を見て見ぬふりをしてはならない。日本としての姿勢は示すべきだ。
一方で、今年は「日中国交正常化50周年」という祝うべき節目の年、新たなレベルでの対中戦略を築く年にしてほしい。そこを期待したい。(編集担当:森高龍二)