岡山県で小学5年生の女児が行方不明になっていた事件で、岡山市在住の無職・藤原武容疑者が誘拐と監禁の疑いで逮捕された。女児は無事に保護されたが、「言うことを聞かないと殺す」などと容疑者から脅されていたと話し、精神的な影響も懸念されている。
藤原容疑者は動機について、「自分好みに育てて結婚しようと思っていた」などと供述しているという。詳しい内容はまだ分からない部分があるものの、一方的な願望を無抵抗な女児に向け、その心に傷を残したことは許されるべきではない。独りよがりで歪んだ願望からは、社会性の欠如も感じられる。容疑者はしかるべき罰を受け更生への努力を行うべきだろう。
しかし一方で、そうした容疑者の社会性欠如に関し、非常に気になる報道のやり方があった。それは、一部の報道番組で容疑者宅にアニメの美少女ポスターがあったことを、さも容疑者の社会性の欠如と関連があるように報道していた点だ。容疑者の社会性欠如と、それらを結びつけるのは短絡的に過ぎるのではないだろうか。
このことに関しては、ネット上を中心に批判の声も多く上がっている。経済評論家の佐藤治彦氏もTwitterで「こういう単純な図式で犯人を語るのはもう辞めた方がいいと思います。アニオタ=犯罪予備軍みたいな印象を喚起しようとしていませんか?」と主張。これに呼応しTwitter上を中心に、「本来関連性がないはずのものを、そうであるかのように印象付けるべきではない」、「例えば容疑者がドラマ好きだと言われないのに、こういう時アニメや漫画だけいつもやり玉にあげられる」、「幼児を守るためにもアニメ文化を守るためにも、アニメ側にも自浄作用は必要」など、意見が交わされている。
古くは宮崎勤事件以来、児童に対する犯罪が起きた時には、こうしたある種の偏向報道が行われてきた。その原因としては以下のようなことが考えられる。
異常な事件が起きた時には、「どんなおかしな人間」がそれを起こしたのかを教えてもらうことで大衆は安心する。「普通の人が起こした犯罪」では対処のしようがないし、自分自身も犯罪者側に組み込まれる恐れがあるからだ。だからマスメディアは容疑者の「普通でない」部分をクローズアップしようとする。そしてそれは、できれば社会的に眉をひそめられるようなものが好ましい。いくらクールジャパンと呼ばれ、昔より市民権を得てきたとは言え、アニメや漫画に対しては「大人がそんなものに夢中だなんて恥ずかしい」という価値観もいまだに存在し、そういった偏向報道・印象操作の格好の的として使われがちだ。
しかし、それは全く犯罪抑止にはつながらないし、むしろ視聴者をますます思考停止に陥らせる恐れがある。新たな差別の種を、何気なく番組を観た人の潜在意識に植え付けてしまうという問題もあるだろう。マスメディア側も自浄作用を持って、いい加減こうした浅はかな報道はやめるべきではないか。(編集担当:久保田雄城)