避難中の前町長が死去 原発問題をイデオロギー問題にしてはならない

2014年07月27日 11:06

 今月20日、東京電力福島第一原発事故で全町避難の対象となった福島県富岡町の遠藤勝也前町長が上顎歯肉がんのために74歳で死去した。遠藤氏は原発事故時に住民の避難を指揮したが、2013年7月の町長選で新人の候補者に破れ落選していた。避難後は富岡町の仮役場兼災害対策本部が設置されている郡山市で暮らしており、葬儀も郡山市内で行われる。

 既に東日本大震災とその影響で発生した福島原発事故から3年4ヶ月が経っているが、まだまだ富岡町のように居住が許されず住民が避難を強いられている地域は多く残っている。国が定める避難指示区域は特別な許可がなければ立ち入りも許されない「帰宅困難区域」、自由に立ち入ることはできるが住むことはできず許可がなければ泊まることもできない「居住制限区域」、自宅に泊まることはできないが会社や店を開くことはできる「避難指示解除準備区域」の3つのカテゴリーに分けられている。

 富岡町はこの3つのカテゴリーが混在しており、遠藤氏は「区域による町民の分断はつらい」と述べていた。3カテゴリーを合わせた避難指示区域は今も10の自治体にまたがっている。既に新しい居住地での暮らしを「仮住まい」ではなく「定住」として捉えている避難住民も少なからずいるのが事実で、元のコミュニティが壊れてしまったと言わざるを得ない地域もある。

 福島原発事故後盛んになった「原発問題」についての議論は今も強い関心を集めているが、避難住民が多く生まれ育った地に戻れずにいる現在の状況を踏まえた議論がなされることはほとんどないのが現状だ。しかし、忘れてはならない。原発問題は現実に起こっている、継続中の問題である。現実に苦しんでいる人々が多くいる中で、原発問題を単なる「脱原発」「原発推進」といったイデオロギー論争に落としてはならない。イデオロギー論争は、ある意味では未来志向の議論と言えるだろう。そのような議論が無駄だと言い切ることはできない。しかし、今起きている問題をどう解決するか、あるいはどう考えるかをセットにして原発問題は考えるべきだろう。(編集担当:久保田雄城)