戦後70年談話で問われる歴史認識表現の重み

2015年04月11日 12:56

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世界の安全保障環境の変化に対応し、未来に向けて発信する部分に変わる部分が生じることはあろうが、変わる部分が「歴史的事実」であってはならない

 戦後70年を迎えるのをうけ、安倍晋三総理が世界に発信する「総理談話」の策定に向けて設置された有識者懇談会の座長代理で、集団的自衛権行使をめぐる総理の私的諮問機関でも座長代理を務め、総理に近いとされる北岡伸一国際大学学長が、シンポジウムで「平和な時代が70年続き、言う事が多少変わってくるのは当然だ」と語った。

 世界の安全保障環境の変化に対応し、未来に向けて発信する部分に変わる部分が生じることはあろうが、変わる部分が「歴史的事実」であってはならない。

 「歴史的事実」が歴史家などの検証から「事実でなかった」と証明されれば、修正すべきは当然だが、村山談話の中身について、事実でなかったと証明するに至っていない以上、そこに語られた歴史的事実に対する認識やその事実を踏まえた周辺国への謝罪と反省の言葉は、総理談話に引き継がれていかなければ、日本は自国の都合のよいように歴史を歪曲したとの誤ったメッセージを世界に発することになりかねない。総理談話が「国益を損ねる」ことになる。

 北岡氏は「メディアは村山談話のキーワードが入るかどうかにだけ関心を持っている。侵略、植民地支配、痛切な反省、おわび、ちょっとわい小ではないか」とするが、メディアは決してこうしたキーワードにのみ関心を持っている訳ではない。総理が発信する日本の過去(歴史)、現在、未来にむけた日本の立場、姿勢全体に大きな関心を持っている。

 ただ、歴史認識において、安倍総理は国会答弁でも「歴代政府の立場と変わりない」「全体として引き継いでいる」などとしているが、「侵略」などの言葉は国会答弁でも使用せず、いわば回避しているようにみえる表現で答弁し続けてきた経緯がある。

 さらに、過去のコラムで触れたが、戦後50年の国会決議に対し、安倍総理は「謝罪決議という大変にみっともない結果になった」とその後の著書に記した。この時の国会決議の際「与党から多くの欠席者が出た。安倍氏もその一人だった」(朝日新聞)。
 
 これは安倍総理が謝罪の文言を入れることを自身の心情や認識からは受け入れられなかったのではないかと推察できる事案であり、安倍総理が歴史認識を修正するのではないかとの懸念の声が国内外からあがる所以でもある。

 そのため、70年談話に安倍総理が「さきの戦争における日本の侵略行為」について、これを認めて使用するのか、あるいはこれをどう表現し、誤解を与えないメッセージにするのか、その「キーワード」に対する安倍総理の対応を注視するのは当然の話になる。

 北岡氏は「謝罪というよりは反省、はるか時間も経ったあと、こころから謝罪するということは空々しく聞こえる」とするが、「過去を見つめて過ちを振り返る」のは当然で、やはり、ことの重大性を認識し、その謝罪と反省の上に立って、70年を歩んでいることを伝えるには、時の経過を超え「こころから謝罪する」との表現は重要な意味を持つ表現だ。

 総理談話は「世界各国が注目する談話になる。できるだけ多くのみなさんの合意が得られるように努力すべき」(二階俊博自民党総務会長)と党内からも声があがる。まさに国民の思いを反映させ、発信するものになる重さを踏まえ、歴史を自国に都合のよいよう歪曲したというようなメッセージを発信してしまうことがないよう、総理には熟考をお願いしたい。(編集担当:森高龍二)