教員の質向上に教員免許を「国家資格」化しようと全国共通試験にし、合格後に、1年から2年のインターン(研修期間)を設け、その後に文部科学大臣が免許を与える制度を自民党はめざしている。以前のコラム欄で取り上げた。
その後、自民は安倍晋三総理に提言した。10年ひと昔というが、10年を待たず法案化され、国家資格になる日は来るのだろう。
その前段とも受け取れる動きがあった。教員採用試験(筆記試験)を全国共通にするよう政府の教育再生実行会議が今月14日、安倍総理に提言した。文部科学省は年内の答申を中央教育審議会に求めた。
コラムに取り上げた際、研修期間中に教員として相応しいかどうか、思想信条を理由に時の政府によって、優秀な人材が教師への道を断たれることにならないよう担保することが必要だと提起したが、実は現行教育界において、その問題が生じていた。
君が代斉唱時に起立しなかった教師が退職後の再雇用を拒否されていた。そして拒否された都立高校の元教諭22人が都に合計2億7000万円の賠償を求めていた。この裁判で、東京地裁は今月25日、「都教委の判断は合理性を欠き、裁量権を逸脱、乱用」と5300万円の支払いを命じた。
判決では都教委が君が代斉唱の際に職員に起立斉唱することを義務付け、校長の職務命令に従わない時は服務上の責任を問える通達を出し、減給などの懲戒処分を行ったうえ、退職後の再雇用申し込みに「君が代斉唱の際の不起立」のみを理由に、再雇用を認めなかったとしている。
判決は「(君が代斉唱時の)起立斉唱命令は原告らの思想の自由を間接的に制約している」と指摘した。
自民党案では全国統一試験に合格してのち研修を受けることになるが、学校で入学式、卒業式を研修生は経験する。研修生が君が代の歌詞に自分の思想とは合わないと起立しなかった場合、校長、教頭がどう評価するのか。
もともと、君が代を国歌にするかどうかについては国民的議論があったように思えない。国旗と国歌を分けて慎重に法案審議すべきとの野党の意見を多数議席の自民が「国旗国歌法案」と一本にして通した経緯がある
君が代の歌詞の意味を義務教育で教諭から聴いた記憶が筆者にはない。文言の意味を知らされず、国歌斉唱と教諭の指示のまま歌ってきた。正確には小学生だった当時、法に定められた「国歌」ではなかった。慣習によるものだった。
国歌斉唱について、天皇陛下は「強制になるということでないことが望ましいですね」と2004年の園遊会で招待者との会話で発言された。君が代を国歌と法定した際に当時の首相は「強制しようとするものではない」と国会答弁もしている。
ところが安倍政権下では、この経緯も反故にされそうだ。国歌でありながら君が代の『君』に対する議論も十分にないままなのに。教員としての適否が君が代斉唱の作為・不作為のみで判断されることはあってはならないし、適否の判断材料にすべきではない。
以前にも書いたが、教師はNHKと同じ立ち位置でなければならない。「不偏不党・中立公正」なバランス感覚で教壇に立つこと。思想信条に対し、国家や政治介入があってはならない。歴史教育においては客観的事実のみを教えることが必要だ。
教員免許を国家資格にすることの是非は制度設計の内容について、広く国民に周知し、国民的議論を経て判断されなければならない。また東京地裁判決を君が代への対応指針にすべきだろう。(編集担当:森高龍二)