「安保法案」と「徴兵制」。何の関係があるのか。徴兵制は全く関係のない話とする人たちがいる。安保法案反対を広げるため、安保法案が可決すれば徴兵制が復活すると不安を煽るものだとの声もある。しかし、その声こそ、なぜ、将来においても可能性がないと断言できるのか、根拠を示して頂きたいものだ。筆者は、徴兵制は憲法違反だと考えているが、安倍総理の憲法解釈の変更、閣議決定の前例ができてしまったために、いつの日か、未来の時の政府によって合憲にされてしまいかねない不安を払拭できずにいる。
安倍晋三総理は「徴兵は憲法18条に規定する『意に反する苦役に該当する』ので、憲法違反であり、総理が代わっても、政権が代わってもあり得ない」と参院で断言した。
そうであってほしい。しかし、それを担保する『法的安定性』が安倍総理自身によって壊されてしまったから、問題にしている。
佐藤栄作、田中角栄、三木武夫、福田赳夫、大平正芳、鈴木善幸、中曽根康弘、竹下登、宇野宗佑、海部俊樹、宮澤喜一、細川護熙、羽田孜、村山富市、橋下龍太郎、小渕恵三、森喜朗、小泉純一郎、福田康夫、麻生太郎、鳩山由紀夫、菅直人、野田佳彦と歴代内閣においての政府見解で集団的自衛権は現憲法下では行使できないとした昭和47年以降、安倍総理を除き、23人の総理が「集団的自衛権は保有するが、現行憲法下では行使できない」とする解釈を堅持してきた。
安倍総理はそれを「安全保障環境が激変している」との理由で、国民の直接投票による判断を仰ぐ「憲法改正手続き」を回避し、解釈改憲してしまった。同時に専守防衛の壁を、これまた、「もはや一国では守れない時代に入っている」として、壊してしまうことになりそうだ。
解釈改憲した総理が、憲法を厳守し「総理が代わっても、政権交代があっても、徴兵制だけは憲法が禁じた苦役だから、ありえない」と断言して、どこに安心感が持てるのか。
国家あっての権利や自由・生命・財産の保障、幸福追求の権利。国家あってこそのもの、との理由で、国民が国を守るのは国民の当然の義務であり、国を保持するための徴兵は苦役にあたらない。徴兵禁止の明文規定は憲法にない、と解釈変更されない可能性をだれが保証するのか。
安倍内閣において、平時・有事を問わず、徴兵はこれを禁止するとの法律を制定するなら、「徴兵は総理が代わっても、政権が代わってもあり得ない」とする安倍総理のことばを信じよう。
安保法案と関係ないという方たちに、安保法案が成立すれば徴兵制が導入されると言っているのではないということを説明する必要があるため、改めて取り上げた。
現行憲法下でも、憲法解釈の変更(徴兵は苦役にあたらない)とされてしまえば、安倍総理の行った手法で、法理論上は可能なのだということを言っている。さきの集団的自衛権の憲法解釈の変更の重大性を指摘したい。
そして、「徴兵制はあり得ない。戦闘機も戦車もハイテクで、操縦技術の取得などに時間がかかるため、徴兵しても役にたたない」ということをいわれる方もいる。
しかし、徴兵されたすべての人が戦闘機に乗るわけでも、戦車を操縦するわけでもない。同時に、徴兵は皆兵制ではないでしょうから、一定の基準(レベル)をクリアできた人物を、その対象にするはず。ハイテク兵器であっても、戦争になれば地上部隊は必須ですから、人材確保は質・量ともに欠かせないでしょう。
専守防衛・集団的自衛権の行使はできない下での自衛隊(志願制)でも、今、定員割れ(陸海空の定員約24万7000人に対し、22万6000人)の状況だ。以前のコラムでも、定員割れの状況を紹介した。
そして、毎日新聞の7月27日の報道によると「防衛大学校では集団的自衛権の行使をめぐって憲法解釈が変更された昨年度、任官拒否者が前年度の10人から、25人に急増した」という。「経済的徴兵制への懸念」との特集記事を掲載した。「経済的な事情から貧困層の若者が自衛官の道を選ばざるを得ない、経済的徴兵制への懸念が語られ始めている」という署名記事だった。
経済的徴兵制といえるのかどうかは別として、昭和40年代中盤で、筆者の親戚筋も経済的事情から親に負担をかけないようにと防衛大学校に進んだ。卒業後、自衛官として防衛庁入りした。自治医科大学を選択した知人もいた。経済的事情で進学の選択肢が狭まったということだった。
しかし、あれから、今日までの時の流れの中で、所得格差がより拡大し、経済的徴兵制という言葉がマスコミ紙面に出るようになった。これが現実にならないよう、若者の進学の選択肢を『ひも付き』でなく、支援する制度づくりこそ、政治は果たさなければならない。
さて、安保法案イコール徴兵制でないことは申し述べた。自衛隊が今後も志願制で維持されるであろうことも期待している。考えなければならないのは、法的安定性を確保したうえで、現行憲法の下で安全保障をどう確保するかということだ。
安倍総理も、中谷防衛大臣も、参院安保特別委員会で、『北朝鮮は切迫する脅威』と正直に語った。生活の党の山本太郎共同代表は、原発に弾道ミサイルが撃ち込まれたらどうするのかと質した。撃ち込まれても損壊しない強靭な防御壁を現実、検討すべきでないのか。核弾頭ミサイル同様に、こちらの方が脅威だと感じる。
原子力規制委員会の田中俊一委員長は飛行機の衝突事故は想定するのに、弾道ミサイルで標的にされた場合の安全性は想定していない。不思議としか言いようがない。電力事業者(原発設置者)と国、原子力規制委員会で対応策を検討すべきだ。
また安保法案を政府は響きのよい平和安全法制というが、現実、想定される脅威が存在するなら、より、国民に分かり易く、その脅威を説明する勇気を持って説明願いたい。これにどう対応するのか、与野党超えて議論すべきだ。そこでの熟議を経て、そのうえで、現行憲法枠内で対応できないとすれば、国民の理解も深まっていくだろうし、必要な憲法改正への道も開けるのだろう。
まず、法的安定性を確保し、憲法に則した安全保障法制であることが鉄則であり、「集団的自衛権も我が国を守る為だったら良いのではないかという提案をしているのです。そうしたら、何を考えないといかんかと、法的安定性は関係ないですよ」などという発想は絶対に許されないし、あってはならない。国会議員ひとりひとりに発信したい。(編集担当:森高龍二)