時の政府の最低限の責任

2015年10月03日 11:09

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政府による集団的自衛権行使容認への憲法解釈変更と閣議決定について、内閣法制局が内部の検討経緯を公文書に残していないことが明らかになった。

 政府による集団的自衛権行使容認への憲法解釈変更と閣議決定について、内閣法制局が内部の検討経緯を公文書に残していないことが明らかになった。

 憲法違反の疑いが晴れていない中、閣議決定(昨年7月1日)から1年以上経過した今も、そして、この閣議決定をもとに国会で成立させた安保法の憲法違反の疑いも、全く払拭されない状況で、この事案は安倍内閣への不信感がひどくなるばかり。

 当時、安倍総理が集団的自衛権行使容認を図るために、内閣法制局長官の首を挿げ替えたとまで言われたことを踏まえれば、後々の検証にもたえ得る資料を、自由討議であっても参考資料として、まさに、自由討議そのものも含め、微細に法制局討議経過資料として、如何なる意見をも残して置くのが歴史的責任ではないのか。

 事案は、日本国憲法施行以来、歴代政府が、あるいは歴代の内閣法制局が、集団的自衛権は有するが行使できないとしてきた、憲法解釈上の定着した解釈を、国会の議論もなく、一内閣のみが閣議決定で行った。政府として議論を尽くしたとするなら、細大漏らさず資料として記録し、メモも含めて保管しておくべきものだったはず。

 関係職員は「自由討議」と称する中で、どのような意見が出ていたのか、憲法問題に関することだけに、思い起こし、書き残す「歴史的責任」を果たして頂きたいと願う。

 マスコミ報道では、法制局が保存している公文書は(1)安倍総理の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇話会」の資料。(2)与党=自公=の協議会資料(3)閣議決定の案文のみという。勘繰りたくもないが、不都合な証拠は残さないことにしたのか。

 さきの安保法案の参院安保特別委員会での不意打ち採決記録もどうなるのか。恣意的に作成されることがないか、信憑性に疑義を生じさせないものか、懸念する。多くの国民が中継をみただろうが、委員長前席の記録者が「議場騒然、聴取不能」と記す状況で、なぜ、自民・公明などの委員はあの短時間に「採決動議、法案2本、付帯決議、委員会報告の5回の採決ができた」のか。委員長の声も姿も自身の席から把握できなかっただろうに。委員一人一人に検証してもいい位だ。今回の採決が後に議事録にどう反映(記録)されるのか注視している。

 いずれにしろ、憲法にかかる重要法案の採決、さらにその前の憲法解釈の変更の閣議決定にかかる案件の記録が、後の歴史検証に資する正確な資料として『事実を書き留めたもの』であることを願う。恣意的操作を排し、後の世のために、そのままをひとつでも多く、資料として留め置くことは時の政府の最低限の責任だ。(編集担当:森高龍二)