尖閣諸島は2012年9月11日、今から5年前の11日に「国有化が閣議決定」された。当時のことを野田佳彦前総理が11日、ブログに書いた。
この中で、野田前総理は、尖閣諸島国有化の背景に、当時の石原慎太郎都知事が都所有にすれば島に船だまりをつくるなどとし、都知事との会談で「石原氏が島の現状変更を契機に、日中両国が軍事衝突をしても構わないという立場だった」と危険極まりない姿勢だったことを明かした。
野田元総理は「5年前の決断」とのタイトルで、国有化を急がざるを得なかった理由が当時の石原都知事の言動にあったことを詳らかにし「中国をいまだに支那と呼ぶ対中強硬派の石原氏の下で、島が都有地になれば日中関係が険悪になると判断したから、国有化を加速した」と書き込んだ。
野田元総理は、中でもこの年8月19日の直接会談で、その危険性を確信したとしている。この時の様子を野田元総理は「石原氏は島に船だまりを作ることにこだわっていた。船だまりを作れば日本の漁船だけが利用するとは限りません。台風の時に中国や香港、台湾の船も緊急避難してくるでしょう。活動家の上陸を呼び込み、係争が日常茶飯事になってしまう可能性もある。約1時間半の議論は平行線のままに終わりました」としている。
「詳細なやりとりは省きますが、自衛隊の最高指揮官として看過できない発言もありました」とも書いている。そのうえで「領土を巡る紛争解決には『国士』ぶった人物の短慮が大きな妨げになる」と指摘。
「虎視たんたんと少しずつでも実効支配の実をとっていく、世紀の単位でアプローチする覚悟が必要です」ととるべき道を示した。そのうえで「評価は歴史に委ねます」と結んでいる。石原氏を巡っては「日本は今までアメリカの妾できた」(2011年)など過激な発言で知られるが、相当過激なやり取りが野田氏と石原氏の間にあったことがうかがえる書き込みになっている。(編集担当:森高龍二)