菅義偉総理は日本学術会議からの会員任命推薦者のうち6人を任命しなかった理由について、5日「推薦された方をそのまま任命してきた前例を踏襲してよいのか考えてきた」などと問題をすり替えた。歴代政府は「踏襲」でなく、公選制から任命制に制度を変えた際の国民との約束を『厳守』してきた。
1983年に日本学術会議の会員を公選制から推薦制に変えた際、政府は「学会の方から推薦していただいた者は拒否しない」「推薦者は拒否しない形だけの推薦制」「形式的な任命制」で政治的関与の余地はないことを約した。
そして、これまではこれを『踏襲』したのではなく、国民との約束事として『遵守』してきた。これにより、政治介入をせず、学問の自由への政治介入への懸念も抑制されてきた。
踏襲してよいのかではなく『踏襲しなければならない』国民との約束であったはずで、閉会中審査や今月下旬から始まる臨時国会でも徹底追及が強く求められる。
菅総理は「日本学術会議は政府機関で、年間約10億円の予算を使って活動している。会員は公務員の立場になる」と主張。「任命責任は首相にある」と任命責任が自身にあり、「日本学術会議については省庁再編の際に、必要性を含め、あり方について相当議論が行われ、総合的、俯瞰的活動を求めることにした。総合的、俯瞰的活動を確保する観点から人事判断をした。今後、丁寧に説明していきたい」と釈明する。
しかし、任命しなかった6人に対する個別理由については、なんら説明しておらず、国民は6人をなぜ任命しなかったのか、安保法制や共謀罪などへの学術的意見が政府方針に反することから、政府の政治的、恣意的判断から排除したのではないか、との疑義を払しょくするよう求めているにも関わらず、この疑問には一切答えていない。
日本学術会議法に定める「任命する」規定に、菅総理が語る「任命責任」を持たせる解釈が行われるようなことがあれば、憲法6条の「天皇は、国会の指名に基づいて、内閣総理大臣を任命する」「天皇は、内閣の指名に基づいて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する」との規定に対して、天皇に「任命責任」を負わせるのか。推薦や指名に基づいて「任命する」のは手続き上の規定で、責任は推薦者や指名者にある。
日本学術会議の推薦により総理が任命するとの規定は手続きとしての形式的規定で「形式的な任命制」(政府答弁)であることを歪めれば、大変なことになる。今回の総理の会見を踏まえて、国会での徹底的な議論を。
菅総理は任命しなかった6人について、安保法制や共謀罪などに批判的立場をとったことと今回の任命拒否の関係に「まったく関係ない」とし、学問の自由に対する大きな侵害との批判にも「学問の自由とは全く関係ない」と否定したが、関係がないことについて、一切その証明をしておらず、国会の場で、一人一人の事案について納得のいく、客観性と合理的な説明が必要だ。
菅総理の母校、法政大学の田中優子総長は5日、大学HPでメッセージを発出した。田中総長は「日本学術会議は、戦時下における科学者の戦争協力への反省から、『科学が文化国家の基礎であるという確信に立って、科学者の総意の下に、わが国の平和的復興、人類社会の福祉に貢献し、世界の学界と提携して学術の進歩に寄与する』(日本学術会議法前文)ことを使命として設立された」と設立趣旨を記した。
そのうえで「内閣総理大臣の所轄でありながら『独立して』(日本学術会議法第3条)職務を行う機関であり、その独立性、自律性を日本政府および歴代の首相も認めてきた。現在、日本学術会議の会員は、ノーベル物理学賞受賞者である現会長はじめ、各分野における国内でもっともすぐれた研究者であり、学術の発展において大きな役割を果たしています。内閣総理大臣が研究の『質』によって任命判断をするのは不可能」と断じた。
そして「任命拒否された研究者は本学の教員ではありませんが、この問題を座視するならば、いずれは本学の教員の学問の自由も侵されることになります。また、研究者の研究内容がたとえ私の考えと異なり対立するものであっても、学問の自由を守るために、私は同じ声明を出します」とし、「今回の出来事の問題性を問い続けていく」とした。田中総長のメッセージの重みに菅総理は謙虚に耳を傾けるべきだ。(編集担当:森高龍二)