1970年代の終わりまでは、クルマ好きでなくとも「ダットサン」という言葉は馴染み深いものだった。「車といえばダットサン」というコピ—もあった。実際、サニー、ブルーバードといった日産<7201>の当時の屋台骨を支えたふたつの初期モデルも、ダットサン・サニー、ダットサン・ブルーバードが正式な車名だった。それからクルマ好きにとって忘れられないのは、フェアレディZだろう。このモデルは、北米では、排気量によってそれぞれ、DATSUN240/260/280Zと呼ばれ、手頃な価格のスポーツカーとして爆発的な人気を博したのである。当時は、その輸出用モデルのDATSUNのエンブレムを、国内仕様のNISSANと交換するのがちょっとしたブームでもあった。それくらいダットサンという名前は、認知度の高いものであり、Zにおいてはある種の憧れだったのである。
日産は、新世代のダットサンモデル第1号のスケッチを公開した。このモデルは、インド市場に投入され2014年から発売する復活したダットサンブランドの第1弾となる。ダットサンブランドは、インド以外にも、インドネシア、ロシア、南アフリカ市場に投入されることになっている。ダットサンは、日産のニッサン、インフィニティに続く第3のブランドとなり、高度経済成長を続ける市場で将来の成功を夢見るユーザーに、クルマのある豊かな生活を提供するという。
ダットサンという名前は、1914年に日本で作られた脱兎号(ダット自動車)に由来している。「脱兎(ダット)」というのは「非常に速いもの」という意味であるとともに、当時の出資者であった、田、青山、竹内3人のそれぞれの名前の頭文字を取って名付けられたものだ。しかし、耐久性のある(Durable)、魅力的で(Attractive)、信頼できる(Trustworthy)のそれぞれの頭文字を取ってDATとした、という宣伝のされ方だった。そして33年、日産の創立者である鮎川義介は、「すべての人に自動車を」というビジョンを持ってこの事業を引き継いだ。30年台初頭の日本の若者たちの向上心を満たす、軽量で経済的で耐久性のあるクルマは、「ダットの息子」、Datson(ダットソン)と名付けられ、後にDatsun(ダットサン)となった。
日産の公式資料では、この変更についての説明はない。しかしsonが、「損」を表しかねず縁起が悪いので、無難なsunに変えたというのが真実ではないだろうか。日本の自動車のブランド構築は、今までレクサス、インフィニティといった高級車が対象であった。そんな中での今回の大衆車ブランドの創設は新たなるチャレンジといっていいだろう。ダットサンは元々が低価格の入門用ブランドだったわけだが、70年代のダットサンの、というかフェアレディZのファンとしては、エントリーブランドというのがちょっと物足りない気がしてしまう。(編集担当:久保田雄城)