憲法に「関心を寄せねばならない」重要な年

2014年05月03日 13:34

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国民主権・象徴天皇・基本的人権の尊重・平和主義を基本とした日本国憲法が昭和22年5月3日に施行され、67年を迎えた今年の憲法記念日

 国民主権・象徴天皇・基本的人権の尊重・平和主義を基本とした日本国憲法が昭和22年5月3日に施行され、67年を迎えた今年の憲法記念日。中でも世界に誇れる日本の平和主義を象徴するのが「憲法前文」と「戦争の放棄、戦力不保持」を規定した「第9条」。

 今、この9条が「日本を取り巻く安全保障環境が変わった」(政府)との理由から、条文解釈の変更により形骸化の危機にさらされている。

 集団的自衛権の行使を容認することを憲法解釈の変更で実現させようとする動き。公明党の山口那津男代表が指摘する通り集団的自衛権の行使容認は「歯止め」を失う危険性が高い。

 時の政府の都合により憲法解釈がコロコロ変更されることは法の安定性からみても、時の権力を縛る規定であることからみても認められることがあってはならない。憲法はそのようなものである。

 国民を守るために現行憲法がかえって弊害を招くことになっているというなら、解釈変更でなく、憲法改正の手続きを経て、時代にあった、そして、日本が日本として、目指すべき方向を定めた新憲法を制定すればよい。

 自民党は自主憲法制定を結党以来目指してきたというが、ハードルを都合よく低くすることは政権を預かる政党として自制すべきだろう。

 国民の理解が得られれば、憲法改正も夢ではない。衆参両院で圧倒的多数を占める今しかない、などという党利党略的な発想は完全に捨て、純粋に世界平和を希求し、二度と戦争の惨事を引き起こさない国家として、専守防衛に必要最小限の防衛力(防衛環境)を整える視点から、国民に分かりやすい説明を、時間をかけて行っていただきたい。

 集団的自衛権の行使に対し、結論ありき。そして、結論を出す時期まで決め審議されたのでは、審議の意味がない。結論は審議を経た結果でなければならない。ことは国民の生命・財産にかかわる国家安全保障の問題だけに、疑問が提起されれば、その疑問が解決するまで審議を続けることが大事だ。

 安倍総理は集団的自衛権の行使容認を目指すため、安保法制懇に検討を依頼し、その報告が連休明け以降に出されることになっている。安保法制懇とはいえ客観性の高いものではない。政府の有識者会議ではあるが、メンバーに集団的自衛権の行使容認への道に解釈改憲に異論を唱える者は最初から選ばれていない。社会民主党の福島みずほ副党首も「安保法制懇のメンバーも小松一郎長官も第9条に係る解釈改憲、明文改憲の必要性に同意している者ばかり。人選の基準が極めて不適切」と指摘する。

 こうした背景から安倍総理の意向に沿った報告が出される可能性が高く、公明党との協議の中でどこまで修正あるいは「暴走阻止のための歯止め」が担保されていくのか。そして、閣議決定されたとして、その中身を国会で詳細に議論し、国民の疑問や懸念を払しょくしていただくことが何より大切だ。

 一部報道によると政府・自民党は集団的自衛権行使に必要な法整備の国会審議の加速化を狙い、今秋の臨時国会で関連法案の審議に対応する担当閣僚を設ける方向で検討している、という。

 特定秘密保護法制定と同じ手法だが、強行に解釈改憲を行い、その行使を可能にするための法整備で集団的自衛権の担当相を置く考えなら、石破茂幹事長に就いていただきたいものだ。

 個人的な思いだが、党の安全保障法制整備推進本部長として問題に取り組んできた経緯や、これまでの与野党間の安全保障討議をみると、良きにつけ、悪しきにしけ、争点に対する説明の仕方が国民にとって最もわかりやすいからだ。

 石破幹事長は「集団的自衛権の行使は個別的自衛権と比べ、距離的あるいは時間的に余裕があることが一般的だ。従って原則、国会の事前承認がなければいけない」との考えだ。

 米国に向けて弾道ミサイルが発射されるなど緊急の場合は事後承認を認めるとの考えも有しているが、まさに、こうした議論や自衛隊が実際に行動する場合の法整備に関する議論だけに、法案を通すために議論をはぐらかすのではなく、不利な部分も含め真正面から質問に答える人物が答弁者でなければ、分かりにくいし、国民の理解は深まらない。

 いずれにしろ、戦後の日本の安全保障政策に大きな転換をもたらすことになることは確実で、憲法の精神、憲法9条の役割、そして、安倍政権の安保政策について、国民ひとりひとりが関心を寄せることが求められている。(編集担当:森高龍二)