名車概論:戦後イタリアの国民車「FIAT NUOVA 500」チンクエチェント

2014年12月21日 10:54

FIAT NUOVA 500

銀杏並木の黄色い「FIAT NUOVA 500」(チンクエチェント)後期型

 伊フィアット社が初代FIAT500を発表したのは、1935年だ。500はイタリア語でチンクエチェント(Chinquecento)と読む。初代はそのスタイルからトポリーノ(ハツカネズミ)と愛称で呼ばれ親しまれた。

 映画「ローマの休日」(ウィリアム・ワイラー監督)でヒロインである王女を撮影するカメラマンの足として活躍している。

 そのチンクエチェントが1957年に2代目に生まれ変わる。正式な名称は「FIAT NUOVA 500」だ。NUOVAはイタリア語で「新しい」の意で、写真のクルマ、黄色い4人乗りの超小型車である。ボディ寸法は全長×全幅×全高2970×1320×1325mmだった。設計したのは初代500でも技師として参加していたダンテ・ジアゴーサ氏だ。先日発売されたダイハツの軽自動車ムーヴの寸法3395×1475×1630mmと比べると、いかに小さなクルマだったか、お分かりいただけるだろう。

 先行して発売されていたFIAT 600のメカニズムを流用したモノコック構造のリアエンジン+リアドライブ車である。とにかく小さく安いことをコンセプトに開発された。コストを落とすためにエンジンは479cc直列2気筒の空冷エンジンとした。出力は15psだった。キャンバス製のサンルーフは標準仕様で、リアエンジンの騒音を空に逃がす意味もあって装着されたという。この小さなOHVエンジンは軽量コンパクトなチンクエチェントを実に時速95km/hに導いた。

 サスペンションは600の縮刷版。フロントが横置きリーフスプリング兼サスアームとしたウィッシュボーン式、リアがコイルスプリングのスイングアクスル式だった。2ドアのユーモラスなボディデザインもジアゴーサ氏の手によるものだという。このデザインもコストダウンの賜物で、鋼板の使用量を極力減らしながらボディ強度を確保しやすい曲面が多用されたと伝えられている。

 発売当初にはイタリア国民の日常の足として活躍していたスクーターからの乗り換えを促進する目的で、「スクーターの高価下取りキャンペーン」を打つなどの積極策が功を奏して500は大ヒットモデルとなる。

 1959年には速くも追加グレードが発表。排気量を499.5ccで21.5psまでチューンアップした「500スポルト」だ。1965年には新しい交通規制に対応するため、後ろヒンジドアを前ヒンジに換えた「500F」を発売した。このマイナーチェンジは、かなり大がかりな変更で、これ以降のチンクエチェントを後期型と呼んでいる。

 1972年、最終型ともいえる500Rを発売した。すでに500の後継車といわれるFIAT126に搭載するエンジンを積んだ500である。排気量は594cc、出力は23psになった。が、その他のメカニズムに大きな変更はない。FIAT NUOVA 500には、アバルトがリリースした数種類のスポーツモデルも存在する。

 イタリアの国民車的な存在のFIAT NUOVA 500だが、ヨーロッパ全土に輸出され人気モデルとして愛された。1977年の生産終了まで約400万台製造されたという。2007年に登場した現行モデルは3代目である。(編集担当:吉田恒)