三菱自工が米イリノイ工場を閉鎖。先進国市場での現地生産を終了する

2015年07月25日 19:24

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豪州、欧州に次いでついに北米生産からも撤退することを決めた三菱自動車。今後は新興国向けのマーケティング戦略で臨むということか?

 三菱自動車は米イリノイ州の同社工場を売却し、米国における自動車生産から完全撤退する方針を固めた。2000年代の大規模な値引き販売やリコール隠しなどもあって三菱自動車ブランドが失墜し、ほかの日本メーカーとは対照的に米国で販売が落ち込んだのが主な原因だ。今後はアジアおよび新興国市場に注力するという。

 イリノイ州の生産設備は三菱にとって唯一の米国工場で、SUV「アウトランダースポーツ(日本名:RVR)」のみを生産している。昨年の生産台数は6万4000台で、設備のキャパシティの半分も使っていない状況だった。ここで生産したアウトランダースポーツは、北米向けだけでなく、ロシアや中東、中南米にも輸出している。工場の設備は、1988年に提携していた米クライスラーと合弁で建設、その後完全子会社にした設備だった。

 一時は、同車を代表するセダンの「三菱ギャラン」やスポーツクーペの「三菱エクリプス」など複数の車種がラインを流れていた。が、効率化のため2012年から前述の1車種に絞った。しかしながら、思ったほどの効率化が図れず、今回の撤退となった模様。

 三菱自動車は2008年に豪州生産から撤退。2012年末にはオランダの生産子会社を現地企業に売却し欧州生産から撤退した。結果として、日本の自動車大手で北米ならびに欧州の両市場から生産撤退するのは三菱が初となる。撤退に関する詳細は今後詰めるとしているが、まず最初に労働組合との協議に入る見通しだとしている。

 三菱は昨年の米国における新車販売が7万7000台で、2002年の34万5000台から急落している。他の日本メーカーが軒並み好調で、数10万ないし200万台超を販売しているなかで苦戦していた。2000年代にローン金利と頭金、1年間の支払いを免除する「ゼロ・ゼロ・ゼロ/キャンペーン」で台数は伸ばしたが、中古車市場に三菱の車があふれて新車が売れない悪循環に陥った。

 イリノイ工場での自動車生産撤退後も、日本などからの輸出で米国内の販売は続ける。三菱の主な工場は日本、タイ、フィリピン、ロシア、中国、建設中のインドネシアの計6カ国となる。タイには戦略大衆車「ミラージュ」を生産する工場を建設し、インドネシアで新工場建設を進めるほか、フィリピンでも米フォード・モーターから工場を買収するなど積極的に投資し、選択と集中を進めている。

 三菱自動車は1970年に三菱重工業の自動車部門が分離して発足した。2000年のリコール隠し発覚後に経営が悪化し、現在は三菱重工や三菱商事など三菱グループ主導で再建中。2009年3月期の連結業績は売上高が1兆9735億円、純損益が548億円の赤字。同年3月末の連結従業員数は3万1905人。(編集担当:吉田恒)