復興を願う人の絆によってハワイ沖から戻った水上バイク

2015年12月30日 19:12

復興を願う人の絆によってハワイ沖から5年ぶりに戻った水上バイク

向かって右からオーナーの松永さん、小柳氏(ヤマハ発動機)、桑原船長(福島丸)、澤尻校長(いわき海星高校)、藤枝氏(JEAN)、三浦氏(ヤマハ発動機)

 東日本大震災の津波で流された水上バイクを、ヤマハ発動機<7272>が復元し、12月20日、浜名湖にて返還式が行われた。持ち主は福島県いわき市(当時は大熊町)に住む松永さん。自宅のガレージで大事に保管していたのだが、家もろともすべて津波で流されてしまった。

 返還に至るまでには長い道のりがあった。2014年5月21日に米国魚類野生生物局の調査員が、日本から約5,000km離れたハワイ州西方にあるジョンストン環礁で発見し、ホノルルに持ち帰った。その後、「東日本大震災に伴う洋上漂流物に係る日米加NGO連携活動」の、ハワイ州コーディネーターに連絡。持ち主に戻してあげたいという願いから、一般社団法人JEANに相談する。このJEANは日本での震災起因の海洋上漂流物の問題に取り組む団体だ。船体に書かれた登録番号から持ち主がわかったため、同年9月18日に松永さんへと連絡が入った。

「第一報を聞いて、流された先がハワイ沖と聞いてビックリしました」と松永さん。

 松永さんは可能であれば持って帰りたいという意思をJEANの藤枝氏に伝えると、同年10月23日にハワイのコーディネーターに相談。すると翌日に日本の船がホノルルに入港するとの情報を入手する。調べてみると、その船は、福島県立いわき海星高等学校が所有する、マグロ延縄漁の実習船練習船「福島丸」だった。いわき海星高校も同じ津波で大きな被害を受けている。「持ち主の方にとっては大切なものだと考え、可能な限り協力をしようと思っていました」と、澤尻校長や桑原船長は、急な協力要請にも関わらず快諾してくれた。船への積み込みに必要なトラックとクレーンは、ハワイ州のコーディネーターが手配してくれた。11月10日に「福島丸」が母港である小名浜港に帰港し、震災で失った水上バイクが約5年ぶりに持ち主である松永さんにようやく戻ったのだった。

 「津波ですべて流され、唯一、戻ってきたのがこのジェットです。たくさんの楽しい思い出をつくってくれたこのジェットが、多くの人の善意によって戻ってきたことが、本当に嬉しい」と、当時の様子を語る。

 しかし、3年もの長い間、海上で漂流していたため、船体はボロボロになっていた。そこで修復は無理だと考え、今後の研究や開発に役立て欲しいとヤマハ発動機に連絡する。それを聞いたヤマハ発動機の小柳氏は、「被災地復興がなかなか進まないなか、被災地のひとつの希望の火を灯し、勇気を与える活動につなげられることを願っています。できるだけオリジナルを残しつつ復元し、持ち主に戻したいです」といった思いから、復元作業を約束する。

 直接、復元作業に携わった担当者は、偶然にも被災地である大船渡市出身の三浦氏。水上バイクを製造していた経験を活かし、我が事のように慈しみながら熱心に作業にあたる。しかし、復元作業は困難を極めた。ハンドルやシートなど船体の上部は剥ぎ取られ、エンジンはむき出しになっており、腐食が激しく再利用できるのはフライホイールカバーのみだった。他に浮体やバルクヘッドはオリジナルのまま使用するものの、船底にはサンゴ片も付着していた。20年以上前に販売していたモデルだけに、新品部品のストックもほとんどなく、中古パーツ探しに奔走し、欠損した船体部分は型を起こしてFRPを何枚も重ねて補修を行った。その結果、震災で失う前の状態以上までに復元されたのだった。

 返還式のあと浜名湖で当時を懐かしむようにデモ走行をする松永さん。「6年ぶりの運転になりますが、あの時の思い出がよみがえりますね。エンジンも調子良く、想像を超えるほど綺麗に仕上げていただき驚きです。もう手放せません」

 今回の出来事は、最初に発見した調査員。日本に戻してあげたいと願ったハワイのコーディネーターやJEAN。さらに輸送してくれた、いわき海星高校や修復作業を担ったヤマハ発動機など、多くの人たちによる「復興を願う人の絆」によって成し遂げられたのだ。ちなみに全員が無償で協力している。

 戻ってきたのは全長わずか2.43mと小さな船体だが、この出来事が被災地復興への大きな灯火となることを願いたい。(編集担当:鈴木博之)