【名車概論/1989年】16年ぶりに復活を遂げ「GT-R伝説」第2章を綴ったR32

2016年02月13日 18:11

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1990年にグループAに参戦し、デビューウインを飾った往年の「カルソニック・スカイラインGT-R」、ドライバーは名手・星野一義選手だった

 日本経済がバブル景気に踊っていた1989年5月22日、日産自動車の売れ筋モデルだったスカイラインが8代目にスイッチした。その3カ月後の同年8月21日、KBGC110型(通称ケンメリGT-R)以来16年ぶりにスカイラインGT-Rが復活する。通称R32・GT-Rである。

 当時、日産では「901運動」と社内で呼称していた「1990年までに世界一のハンドリング性能をもった量産車を作る」という目標を掲げていた。R32・GT-Rは、そのひとつの成果といえるモデルだった。

 搭載エンジンは、このクルマのために専用設計したRB26DETT型2.6リッター直列6気筒DOHC24バルブ+ツインターボ。最高出力280ps/6800rpm、最大トルク36.0kg.m/4400rpmというアウトプットで登場した。組み合わせたトランスミッションは5速マニュアル。駆動方式は極めて凝ったシステム「ATTESA E-TS」の4WDで、ふだんは後輪駆動で走行し、素直なハンドリング特性を持つが、大パワーを後輪に与えてテールスライドに移行しはじめる前に前輪にトルクを与えて姿勢を回復させるというアクティブな4WDシステムを採用した。さらに、後輪側にも操舵システム「Super HICAS(スーパーハイキャス)」を組み合わせ、エンジン性能を存分に引き出せるセッティングとなっていた。

 このR32・GT-Rは、当時の日本ツーリングカーレース最高峰「全日本ツーリングカー選手権(JTC)」に送り込むことを前提に開発されたモデルで、2568ccという中途半端な排気量は、グループAのレギュレーションに基づいたためだ。

 5月に登場した標準仕様のスカイラインGT系は、5ナンバーサイズのボディ(全幅1695mm)で登場した。が、このGT-Rは前後にブリスターフェンダーが与えられ3ナンバーサイズとなった。しかしながら現在の水準で見ると、全長×全幅×全高は4545×1755×1340mm、ホイールベース2615mmとコンパクトなボディを持っていた。高度なエンジン、複雑な駆動方式ながら車重は1430kgに抑えられた。これは、フロントフェンダー、ボンネットをアルミ製としたことで軽量化した結果である。

 1990年にグループA参戦マシンのホモロゲーション用モデルとして500台限定の「R32・GT-R NISMO」が発売され即完売する。その年に参戦したデビュー戦で優勝を遂げ、年間をとおしてカルソニック・スカイラインGT-Rの強さを印象づけた。ここから再び「GT-R伝説」がスタートするわけだ。

 その後、1992年2月のマイナーチェンジ時の際に登場。標準車のフロントブレーキローター径296mmに対して324mm、リアブレーキローター径297mmに対して300mmにそれぞれ大径化したブレンボ製ベンチレーテッドディスクに225/50R17インチタイヤ+BBS製鍛造ホイールを装備した上位モデル「Vスペック」などを追加しながら1995年にR33型にモデルチェンジするまで4万3661台が生産された。R32は「スカイラインGT-R」として、もっとも売れた最量販GT-Rとなる。(編集担当:吉田恒)