Honda米国生産2000万台、アコード1000万台を達成

2014年03月25日 10:20

Honda Celebrates 20 Millionth Automobile Built in the U.S.

1982年にホンダがオハイオ州メアリズビル工場で日本メーカー初となる四輪車の現地生産を開始した。そして、3月21日、1000万台目のアコード(写真)がラインオフ。同時に米国内での四輪車累計生産台数は2000万台を達成した

 ホンダが北米で日本の自動車メーカーとして初めて自社ブランド四輪車生産を開始したのは、30年以上も前の1982年11月だ。

 北米工場設置の大きな理由は以下のとおりだ。1973年ごろから日本の北米への自動車輸出拡大に伴って貿易摩擦が発生しはじめた。なかでも世界最大の自動車市場だった米国で、78年から米ビッグスリーの生産台数が急速に減少する。一方、79年から翌年にかけて自動車輸入が急増し日本車のシェアが拡大する。これが、アメリカにおいて失業の増加を招き“米国内自動車産業の保護”という世論が高まった。結果、1981年から日本メーカーによる対米乗用車輸出自主規制が開始された。

 こうした貿易摩擦を背景として、82年にホンダがオハイオ州メアリズビル工場で日本メーカー初となる四輪車の現地生産を開始した。その後、オハイオ州イーストリバティ工場、アラバマ州リンカーン工場、インディアナ州グリーンズバーン工場と生産拠点を拡大した。ホンダに追随した日本メーカーは、83年に日産がテネシー州で生産を開始。84年にはトヨタとGMの合弁会社NUMMIを設立しカリフォルニア州に工場を建設した。

 1980年代後半になると、87年にマツダが進出。88年にはトヨタ単独でケンタッキー州に工場を建設。同じ年にクライスラーと合弁で三菱自動車が進出、89年に富士重工といすゞが合弁で工場を建設するなど、ホンダが先鞭を付けた米現地生産が拡大していく。

 そのホンダの第一号拠点メアリズビル工場で3月21日、累計1000万台となる米国製ホンダ・アコードをラインオフした発表。と、同時に、ホンダの米国内でのホンダ製四輪車累計生産台数は2000万台を達成したという。USホンダでは現在、4車種の乗用車とライトトラック7車種を生産、2013年に過去最高の130万9917台のクルマを生産した。

 現在、USホンダは5番目の四輪車生産工場となる「パフォーマンス・マニュファクチャリング・センター」の建設をオハイオ州メアリズビルで進めており、スーパースポーツである次期「Honda NSX」の生産を行なう、世界でただひとつの工場となる。

 2013年に米国で販売したホンダ・ブランドとアキュラ・ブランド車の95%は北米で生産されたクルマだった。日本でも国際的にも自動車メーカーグループに属さない孤高のHonda、つくづくグローバルな企業だと思う。(編集担当:吉田恒)