安倍晋三総理が安保法制懇の報告を受け「政府としての基本的方向性」を15日示した。「命と平和な暮らしを守るため、何をなすべきか、ということ」と大前提を語り、「具体的な例をあげて示したい」と憲法解釈変更の必要性を提起していった。
安倍総理は「海外に住む日本人は150万人。海外に出かける日本人は年間1800万人いる。突然、紛争が起こることも考えられる。そこから逃げようとする日本人を同盟国(能力を有する)の米国が救助・輸送しているとき、日本近海で攻撃があるかもしれない」。
実際に紛争の可能性のある地域へ出かける日本人が仕事以外では想定出来ないのだが、旅行者を含めての話になった。そのうえで「このような場合でも日本人自身が攻撃を受けていなければ日本人が乗っている米国の船を日本の自衛隊は守ることができない。それが現在の憲法の解釈です」と続けた。
憲法解釈を変更しなければならない。冒頭の会見内容は、憲法解釈をしなければならないということを強くアピールするものだった。
安倍総理は「いかなる事態にあっても国民の命を守る責任がある。そして人々の幸せを願ってつくられた日本国憲法がこうした事態にあって、国民を守る責任を放棄せよと言っているとは考えられない」と憲法解釈の変更は憲法の趣旨に照らして矛盾しないと間接的に主張した。
安倍総理は「南シナ海で力を背景とした一方的な行為により国家間の対立が続いている」と中国に例をとった。「東シナ海でも日本の領海への侵入が相次いでいる」とし、緊張が続いていると安全保障環境の厳しさが増していると訴えた。
また「北朝鮮のミサイルは日本の大部分を射程に入れている。みなさんの街も例外ではありません。核兵器の開発を続けている」。そう強調した。
こうした表現は一国の総理の説明として正しかったのかどうか。中国や北朝鮮も会見を知るので、中国に対し「胸襟を開き、対話のドアはいつも開けている」と対話による平和外交を主張する総理が国民の命や暮らしを守るために憲法解釈の変更をしなければならない。その理由の筆頭が中国、北朝鮮の動向にあると名指ししたようなもので、国民に呼びかけたことによる外交上の配慮の欠如と緊張感を高める国益の損失はどうなのか。問題の多い会見ではなかったか。
本論に戻す。こうした例をあげ、安倍総理は「もはや一国のみで平和を守ることはできない。これは世界共通の認識」と述べ、集団的自衛権を行使できるようにしなければ同盟国との安全保障の実効を今以上に上げることはできないという論理の展開を行った。
安倍総理は「だからこそ、積極的平和主義を掲げ、国際社会と協調しながら世界の平和と安定にこれまで以上に貢献する立場を明確にし、米国、欧州各国、ASEANの国々をはじめとするアジアの友人たちからも高い支持を頂いた。いかなる事態からも国民の命と暮らしを守る。そのための提言を安保法制懇から頂いた」と法制懇がかなり客観性の高い懇談会であるかのように印象づけた。
そのうえで安倍総理は「今後、具体的な事例にそくして更なる検討を深め、国民の命と暮らしを守るために切れ目のない対応を可能とする国内法制を整備する」と語った。
安倍総理は「これまでの憲法解釈のもとでも可能な立法措置を検討する」と述べ、「武力攻撃に当たらない侵害、漁民を装った武装集団が日本の離島に上陸してくるかもしれない。グレーゾーンへの対処を強化する」と表明した。
次に「PKOや国際社会の安定に一層貢献していく。また、憲法解釈がこれまでのままで国民の命と暮らしを守ることが十分できるのか、更なる検討が必要」と本論に入った。
「検討にあたって、日本が再び戦争をする国になるといった誤解がある」と憲法解釈の変更は法的安定性や立憲主義からみて、出来ないし、許されないとする政治勢力や世論をけん制もした。
安倍総理は「そんなこと(日本が再び戦争する国になること)は断じてあり得ない」と強調。しかし集団的自衛権の行使は同盟国が攻撃されたとき、自国が攻撃されたものと判断し、ともに戦うことを意味しており、同盟国の戦争に日本が巻き込まれる可能性は当然起こりうるので、自衛と言いながら「日本が戦争する国になる」との声や「戦争に巻き込まれる可能性が高くなる」との声が出るのは当然なのだ。
そして「歯止め」をどうするのか。また、その前に「憲法9条の解釈」について、歴代政府が堅持してきた解釈を変更することが本当に改憲を経ずして許されるのか。憲法の法的安定性を損なわないか、丁寧に国民の納得できる説明を、国会内外で行っていくことが必要だ。
本当に国民の命と暮らしを守るために集団的自衛権の行使が必要なら改憲で国民の意思を問うべきだろう。改憲せずに解釈変更するなら、変更前に、解釈変更の是非を問う総選挙を行うことが最低限、与党としての責任だろう。国民の命と暮らしに大きくかかわる憲法の問題なのだから。