アニメやマンガなど、市場としては大きいものの日本国内では正当に評価されにくかった文化が、海外からは非常に「かっこいい=クール」なものとして映っている。そんな声が00年代後半から聞かれ、日本でもそれを肯定する動きが高まった。
クールジャパン。アニメやマンガなどのポップカルチャーを中心に、最近では茶道などの伝統文化や日本食も含み、日本独自の文化を世界に発信していく言葉として定着した。また、それだけでなく、文化輸出による経済効果を狙う政治用語としての響きも強くなってきている。2014年までのその歩みを振り返りつつ、15年以降のクールジャパンの行方を占いたいと思う。
アニメやマンガなど、市場としては大きいものの日本国内では正当に評価されにくかった文化が、海外からは非常に「かっこいい=クール」なものとして映っている。そんな声が00年代後半から聞かれ、日本でもそれを肯定する動きが高まった。その市場価値の高さから、政府は10年に経産省内にクールジャパン室を設置し海外普及への後押しを始めた。さらに13年にはクールジャパン機構も設立。その3年間で日本の放送コンテンツ輸出額は2倍になり、年間138億円にも上るようになった。その内60%がアニメの輸出だという。
政府が14年12月に発表した「クールジャパン政策」によると、今後はアニメなどのコンテンツのみならず、ファッションや食文化といった衣食住にも拡大させたいとしている。事実、前述の通りクールジャパンはいまやポップカルチャーだけでなく、能や茶道などの伝統文化や日本食、その他には墨・藍染めといった伝統色などを評する際にも使われている。海外観光客増加もあり、地域振興や文化振興につながると期待する声も多い。
しかし、そうやって何でも「クールジャパン」の札を付けて海外に売り出すことで、混乱が生じている面もある。人の感性は多種多様だ。アニメこそ日本が世界に誇る文化だと感じる人もいれば、能や茶道などの伝統文化に日本の本質を見出す人もいる。どちらが優れているという問題ではなく、外貨獲得を最優先した結果、クールジャパンという言葉自体が非常にチープになりつつある現状こそが問題だろう。
外貨獲得手段として、節操なしに「これこそクールジャパンですよ」と紹介するのは、ただの押し売りだ。そうではなく、自分たちが愛し、内に篭るように熟成してきた文化を、海外の人々に「日本人は変なことをやっている!でもかっこいい!」と感じてもらうことこそ、クールジャパンの原点だろう。それは、アニメでもコスプレでも茶道でも日本食でも変わらない。その原点に立ち返らなくては、本当にクールとは感じてもらえないのではないだろうか。世界から注目を集めつつある今だからこそ、そうした意識が必要だろう。
また、何が海外からクールに見えるか分からないということも重要だ。例えば、新宿歌舞伎町に「ロボットレストラン」という店がある。ここは女性ダンサーが巨大ロボットに乗ってショーを見せる飲食店だ。異常にけばけばしい店内に、歌舞伎風アクションや和太鼓が入り乱れる、完全に「勘違いした日本文化」だ。しかし、これが今海外観光客の隠れ人気スポットとなっているという。
思えば、最初に「クールジャパン」や「カワイイ」が広まるきっかけの1つになったのは、日本人からは過剰にポップに感じる村上隆氏の現代アートだった。ロボットレストランもそうだが、外から見た時どう感じるか内側からは分からない所に文化の面白さはある。日本人からは混沌としか思えないものや、逆に日常としか思えないものに、本当の「クールジャパン」は隠れているのかもしれない。15年は、そうした新しいクールが発見される年になると期待したい。(編集担当:久保田雄城)