名車概論:和製「羊の皮を被った狼」、レーシングプロトR380から移植した心臓が真骨頂──初代GT-R

2015年07月25日 21:03

GT-R

1970年に4ドアセダンGT-Rから2ドアHT・GT-Rにスイッチした初代GT-R。搭載エンジンはショートストローク&高回転型のR380用エンジンGR8型をディチューンしたS20型。それまでの国産ユニットとは別モノの本格的な気筒あたり4バルブのツインカムエンジンだった

 プリンス自動車がその設計主査である桜井慎一郎氏のもとスカイラインGTで挑んだ1964年の第2回日本グランプリで、急遽輸入されたポルシェ904に完膚なき敗戦を喫した。式場壮吉選手がフリーの立場でポルシェ904を購入してスカイラインの優勝で堅いといわれたレースに楔を打ち込んだわけだ。

 ポルシェ904は、ほぼ純粋なレーシングマシン。いくら特別なチューンを施したとはいえ、到底当時の国産乗用車が敵う相手ではなかった。そこでプリンスは翌年の日本グランプリ参戦を目指して、本格的なレーシング・プロトタイプ開発に着手した。

 完成したのが、あの名高き「R380」だ。1965年に谷田部テストコース(日本自動車研究所高速周回路)にて7種目の国内速度記録を達成。翌66年、改良型R380-1型が第3回日本グランプリに出場して総合優勝を果たし、2位にもR380が入った。

 R380のボディサイズは全長×全幅×全高3930×1580×1035mm、ホイールベース2360mm、車重660kgと非常にコンパクトで軽量なレーサーだった。搭載エンジンは1996cc(ボア×ストローク:82×63mm)直列6気筒DOHC24バルブ・ウェーバーキャブ3連装というショートストローク&高回転型レーシングエンジンで、最高出力200ps(最終型では250ps)/8000rpmとされていた。

 そして、1969年にまさに国産初の「羊の皮を被った狼」がデビューする。日産自動車に吸収合併となったプリンス・スカイラインは、2代目「日産スカイライン」として国産スポーツセダンの異彩だった。そのスカイラインに、あのR380のエンジンが搭載されるというニュースが流れ、全国のスカイラインファンを唸らせた。スカイラインGT-Rの鮮烈なデビューである。

 R380が搭載した6気筒DOHCをディチューンして扱いやすいスペックをもたせたが、GT-Rに搭載したS20型と呼ぶユニットは、それまでの国産ユニットとは別モノの本格的な気筒あたり4つのバルブを持った“ホンモノ”のツインカムエンジンだった。当時として破格の160ps/7000rpm、18.0kg.m/5600rpmという最高出力&最大トルクを発生した。

 操縦性と運動性能を向上させるため、サスペンションは普通のスカイラインとはまったくの別モノ。トレッドも100mm近く拡大していた。当時のスカイラインはスポーティだが、コロナやブルーバードよりも上級ファミリーセダンだった。しかし、GT-Rは、軽量化のためにヒーターやオーディオといった快適装備はオプション扱いで、運転席&助手席はリクライニング機構さえないバケットシートだった。

 その甲斐あってGT-Rセダンは、0-400m加速を16.1秒で走破する、当時としては破格の動力性能を発揮した。しかし、外装は標準のスカイラインGTを大きな変更はなく、前述の「和製・羊の皮を被った……」という異名を獲得したのである。

 スカイラインGT-Rはさらに進化する。デビューから1年半後の1970年10月に2ドア・ハードトップ(HT)ボディに換装したモデルがデビューとなる。KPGC10型と呼ばれる2ドアHT版に移行した最大の理由は運動性能のさらなる向上にあった。ボディサイズは全長×全幅×全高4330×1665×1370mm。ホイールベースは旧来のセダン2640mmからHT2570mmと70mmも短縮、車両全長も65mm短くなり、全高も15mmローダウンした。車両重量も4ドアセダン1120kgから1100kgへと僅かだがダイエットに成功した。搭載エンジンはセダンGT-Rと変更はない。が、カタログには0-400m加速はセダンを大きく上回る15.6秒と記載されていた。

 2ドアHTモデルのエクステリアの真骨頂はリアフェンダー。レース出場を前提として太いレース用タイヤを収める目的で、FRP製の黒いオーバーフェンダーが最初から装着されていたのである。

 レースに勝つために開発されたGT-Rは、デビューから参戦したレースで49連勝を達成。通算では52勝を記録した。この初代GT-R、その生産台数はセダンが約970台、HTが1113台だと言われている。(編集担当:吉田恒)