ニシキゴイの新たな市場として、いまインドネシアが注目を集めている。国内でニシキゴイが一般的になったのは、1914年に上野公園で東京大正博覧会が開催されてから。白い肌に赤い模様が入った「紅白」が新潟県東村から出品されて好評を博したのがきっかけとされる。
ニシキゴイの新たな市場として、いまインドネシアが注目を集めている。
日本国内でニシキゴイが一般的になったのは、1914年に上野公園で東京大正博覧会が開催されてから。白い肌に赤い模様が入った「紅白」が新潟県東村から出品されて好評を博したのがきっかけとされる。もともと、江戸時代から新潟県小千谷市などの山地に散在する溜池を利用して飼育、改良されたコイがニシキゴイの主流をなしている。
68年12月に第1回全日本総合錦鯉品評会が開催され、70年には全日本錦鯉振興会が設立され、ニシキゴイ市場は活況を呈した。ところがいま、国内需要は伸び悩み、海外への輸出が拡大している。輸出額の7割が欧米で、未だアジアは3割ほどだが、近年東南アジアへの輸出が増えている。その中で、特に注目を集めているのが、インドネシアだ。
10年前には年間約1200万円にとどまっていたインドネシアへの輸出額は、約2億円に拡大した。インドネシアでは当初、中国系の富裕層に限られていたが、経済発展に伴ってニシキゴイ愛好家が増加したからだ。インドネシアのニシキゴイ愛好家団体はすでに20以上に増えた。いまや、インドネシアでは品評会が毎月のように各地で開催され、ショッピングモールやレストランが、客寄せのためにニシキゴイ用の水槽を設置するほどだ。
NHK(2月28日放送)は、インドネシアのニシキゴイ愛好家をレポート、西ジャワ州のバンドンで海運会社を経営するハルトノ・スクワントさんの事例を紹介した。2013年の全日本総合錦鯉品評会で、日本人を抑えて総合優勝したハルトノさんは、「コイは餌や環境によって色や形が変わり、まるで子どもを育てているようです。コイなしの人生なんて、もう考えられません」と話している。
ハルトノさんは、ここ7年間に日本円で7700万円余りをニシキゴイに投じてきたという。水を冷却する装置を設備し、熱帯のインドネシアで池の水温を20度前後に保っている。
インドネシアのニシキゴイ市場は、かつての日本のように活況を呈しつつある。(編集担当:久保田雄城)